伝習録 / 黄省曾録
先生曰:「『先天而天弗違』,天即良知也。『後天而奉天時』,良知即天也。」
書き下し
先生曰く、「『天に先んじて天も違わず』、天は即ち良知なり。『天に後れて天の時を奉ず』、良知は即ち天なり」と。
現代語訳
先生は言われた。「『天に先んじても天は違わない』、天が良知だ。『天に後れて天の時を奉じる』、良知が天だ」。
解説
私たちは、時に「こうすべきだ」という世間の常識や、過去の経験に縛られがちです。しかし、この一節は、あなたの心の奥底にある「良知」、つまり生まれながらにして持っている正しい判断力や誠実さこそが、最も信頼できる指針だと教えてくれます。その良知に従って行動すれば、たとえそれが世間の流れに逆らうように見えても、結果的には自然の摂理にかなった道となるでしょう。自分の内なる声に耳を傾け、それに従って生きることが、最も自然で無理のない生き方なのです。
この章句が説くこと
先天而天弗違天即良知也後天而奉天時良知即天也
関連する章句
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伝習録・黄省曾録先生曰く、「知る無く知らざる無しとは、本体は原と是くの如し。譬えば日は未だ嘗て心に物を照らす有らずして、自ら物として照らさざる無し。照らす無く照らさざる無きは、原と是れ日の本体なり。良知は本と知る無し。今、却って知る有らんことを要す。本と知らざる無し。今、却って知らざる有るかと疑う。只だ是れ信ずること及ばざるのみ」と。
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伝習録・黄省曾録先生曰く、「『天の命ずるを之れ性と謂う』、命は即ち是れ性なり。『性に率うを之れ道と謂う』、性は即ち是れ道なり。『道を修むるを之れ教と謂う』、道は即ち是れ教なり」と。問う、「如何ぞ『道は即ち是れ教』なるか」と。曰く、「道は即ち是れ良知なり。真知は原と是れ完完全全なり。是の的は還た他を是とし、非の的は還た他を非とす。是非は只だ他に依著せば、更に是ならざる処有る無し。這の良知は還た是れ你の明師なり」と。
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伝習録・黄省曾録「良知は只だ是れ個の是非の心なり。是非は只だ是れ個の好悪なり。只だ好悪すれば、就ち是非を尽くせり。只だ是非すれば、就ち万事万変を尽くせり」と。又た曰く、「是非の両字は是れ個の大規矩なり。巧の処は則ち其の人に存す」と。
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伝習録・黄省曾録先生曰く、「『惟だ天下の聖のみ、能く聡明睿知たりと為す』。旧に看るに何等か玄妙なる。今、看来たるに、原と是れ人人自ら有する的なり。耳は原と是れ聡、目は原と是れ明、心思は原と是れ睿知なり。聖人は只だ是れ之を一に能くするのみ。能くする処は正に是れ良知なり。衆人の能わざるは、只だ是れ個の知を致さざるなり。何等か明白簡易なる」と。
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伝習録・陳九川録庚辰、虔州に往きて再び先生に見ゆ。問う、「近来の功夫、稍(やや)頭脳を知るが若しと雖も、然れども個の穏当快楽の処を尋ね難し」と。先生曰く、「爾は却って心上に去きて個の天理を尋ぬ。此れ正に所謂る理障なり。此の間に個の訣竅有り」と。曰く、「請い問う、如何」と。曰く、「只だ是れ知を致すなり」と。曰く、「如何にして致さん」と。曰く、「爾の那の一点の良知は、是れ爾の自家底の準則なり。爾の意念の著く処、他は是ならば便ち是なるを知り、非ならば便ち非なるを知る。更に他を瞞(あざむ)くこと一些も得ず。爾は只だ他を欺かんことを要せず、実実落落として他に依著して做し去れ。善は便ち存し、悪は便ち去れ。他の這裏、何等か穏当快楽なる。此れ便ち是れ『格物』の真訣、『致知』の実功なり。若し這些の真機に靠著せずんば、如何ぞ去きて物を格さん。我も亦た近年、体貼し出だし来たりて此くの如く分明なり。初めは猶お只だ他に依らば恐らくは足らざる有らんと疑う。精細に看れば、些小の欠闕も無し」と。
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伝習録・黄修易録先生、一日、出でて禹穴に遊ぶ。田間の禾を顧みて曰く、「能く幾何の時ぞ。又た此くの如く長ぜり」と。范兆期、傍らに在りて曰く、「此れ只だ是れ根有り。学問、能く自ら根を植えば、亦た長ずる無きを患えず」と。先生曰く、「人、孰か根無からん。良知は即ち是れ天の植えたる霊根なり。自ら生生して息まず。但だ私累を著け、此の根を戕賊蔽塞せば、発生するを得ざるのみ」と。
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