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伝習録 / 黄省曾録

問:「孔子所謂遠慮,周公夜以繼日,與將迎不同何如?」先生曰:「遠慮不是茫茫蕩蕩去思慮,只是要存這天理。天理在人心,亙古亙今,無有終始。天理即是良知,千思萬慮,只是要致良知。良知愈思愈精明,若不精思,漫然隨事應去,真知便粗了。若只著在事上茫茫蕩蕩去思,教做遠慮,便不免有毀譽得喪,人欲攙入其中,就是將迎了。周公終夜以思,只是『戒慎不睹,恐懼不聞』的功夫;見得時,其氣象與將迎自別。」

新字:問:「孔子所謂遠慮,周公夜以継日,与将迎不同何如?」先生曰:「遠慮不是茫茫蕩蕩去思慮,只是要存這天理。天理在人心,亙古亙今,無有終始。天理即是良知,千思万慮,只是要致良知。良知愈思愈精明,若不精思,漫然随事応去,真知便粗了。若只著在事上茫茫蕩蕩去思,教做遠慮,便不免有毀誉得喪,人欲攙入其中,就是将迎了。周公終夜以思,只是『戒慎不睹,恐懼不聞』的功夫;見得時,其気象与将迎自別。」

書き下し

問う、「孔子の所謂る遠慮、周公の夜を以て日に継ぐは、将迎と同じからざること何如」と。先生曰く、「遠慮は是れ茫茫蕩蕩として去きて思慮するにあらず。只だ是れ這の天理を存せんことを要す。天理は人心に在り、亘古亘今、終始有る無し。天理は即ち是れ良知なり。千思万慮、只だ是れ良知を致さんことを要す。良知は愈々思えば愈々精明なり。若し精思せずんば、漫然として事に随いて応じ去らば、真知は便ち粗し。若し只だ事上に著きて茫茫蕩蕩と去きて思うを、教えて遠慮と做さば、便ち毀誉得喪の免れざる有りて、人欲、其の中に攙入せん。就ち是れ将迎なり。周公の終夜、以て思うは、只だ是れ『睹ざるに戒慎し、聞かざるに恐懼す』の功夫なり。見得る時、其の気象は将迎と自ら別なり」と。

現代語訳

問うた。「孔子のいう遠慮、周公が夜を日に継いで考えたことは、迎え送りとどう違いますか」。先生は言われた。「遠慮とは、漠然と思い巡らすことではない。ただ天理を保とうとすることだ。天理は人の心にあり、古今を貫いて始めも終わりもない。天理が良知だ。千思万慮も、良知を致そうとするだけだ。良知は思うほど精しく明らかになる。もし精しく思わず、漫然と事に応じれば、真の知は粗くなる。もし事の上で漠然と思うことを遠慮と呼べば、毀誉褒貶や損得を免れず、人欲が入り込む。それが迎え送りだ。周公が夜通し考えたのは、『見えないものに戒め慎み、聞こえないものに恐れる』工夫だ」。

解説

先のことを考えるのは、良いことか。同じ「考える」でも、天理を保とうとしているのか、損得を計算しているのか。行為の形は同じで、中身が正反対になりうる。周公の夜通しの思案と、迎え送りの心は、そこで分かれるのです。

この章句が説くこと

遠慮不是茫茫蕩蕩去思慮只是要存這天理

この一句を、あなたの毎日に。

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