伝習録 / 黄省曾録
先生曰:「『惟天下之聖,為能聰明睿知』,舊看何等玄妙!今看來,原是人人自有的。耳原是聰、目原是明、心思原是睿知,聖人只是一能之爾,能處正是良知。眾人不能,只是個不致知,何等明白簡易。」
新字:先生曰:「『惟天下之聖,為能聰明睿知』,旧看何等玄妙!今看来,原是人人自有的。耳原是聰、目原是明、心思原是睿知,聖人只是一能之爾,能処正是良知。眾人不能,只是個不致知,何等明白簡易。」
書き下し
先生曰く、「『惟だ天下の聖のみ、能く聡明睿知たりと為す』。旧に看るに何等か玄妙なる。今、看来たるに、原と是れ人人自ら有する的なり。耳は原と是れ聡、目は原と是れ明、心思は原と是れ睿知なり。聖人は只だ是れ之を一に能くするのみ。能くする処は正に是れ良知なり。衆人の能わざるは、只だ是れ個の知を致さざるなり。何等か明白簡易なる」と。
現代語訳
先生は言われた。「『ただ天下の聖人だけが、聡明睿知でありうる』。以前はなんと玄妙に見えたことか。今見れば、もともと誰もが持っているものだ。耳はもともと聡く、目はもともと明るく、心の思いはもともと睿知だ。聖人はただ、それを一つにできるだけだ。できる所が、まさに良知だ。常人ができないのは、知を致さないだけだ。なんと明白で簡易か」。
解説
かつて難解に思えたことも、深く理解するにつれて、実は誰もが持っている当たり前のことだと気づくことがあります。耳が音を捉え、目が色を識別し、心が物事を考えるように、私たちは生まれつき物事の本質を見抜く力を持っています。聖人が特別なのは、その力を常に発揮できるからであり、私たちができないのは、その力を十分に使いこなせていないだけかもしれません。複雑に考えがちな問題も、本質に立ち返れば、意外なほどシンプルで明確な答えが見つかるものです。
この章句が説くこと
原是人人自有的衆人不能只是個不致知何等明白簡易