伝習録 / 黄省曾録
問「天壽不貳」。先生曰:「學問功夫,於一切聲利、嗜好俱能脫落殆盡,尚有一種生死念頭毫髮掛帶,便於全體有未融釋處。人於生死念頭,本從生身命根上帶來,故不易去。若於此處見得破,透得過,此心全體方是流行無礙,方是盡性至命之學。」
新字:問「天寿不貳」。先生曰:「学問功夫,於一切声利、嗜好倶能脱落殆尽,尚有一種生死念頭毫髪掛帯,便於全体有未融釈処。人於生死念頭,本従生身命根上帯来,故不易去。若於此処見得破,透得過,此心全体方是流行無礙,方是尽性至命之学。」
書き下し
「殀寿貳(うたが)わず」を問う。先生曰く、「学問の功夫、一切の声利・嗜好に於て倶に能く脱落し尽くすに殆(ちか)きも、尚お一種の生死の念頭、毫髪も掛帯する有らば、便ち全体に於て未だ融釈せざる処有り。人の生死の念頭に於けるは、本と生身命根の上より帯び来たる。故に去り易からず。若し此の処に於て見得て破り、透り得て過ぐれば、此の心の全体は方に是れ流行して礙り無く、方に是れ性を尽くし命に至るの学なり」と。
現代語訳
「長命短命を疑わず」について問うた。先生は言われた。「学問の工夫で、あらゆる名声や利益、嗜好をすべて脱ぎ捨てられても、生死の念が毛筋ほども引っかかっていれば、全体としてまだ溶け切っていない所がある。人の生死の念は、もともと生身の命の根から持ってきたものだ。だから去りにくい。もしここを見破って透り抜ければ、心の全体が滞りなく流れ、性を尽くし命に至る学だ」。
解説
日々の努力や学びを深めていく中で、私たちは多くの執着を手放すことができます。しかし、人生の終盤に差し掛かっても、なかなか手放せないのが「生と死」へのこだわりかもしれません。これは、私たちの根源的な部分に深く根ざしているため、向き合うのが難しいテーマです。しかし、この生死への執着を乗り越えられた時、私たちの心は真に自由になり、人生の全てを受け入れられるようになるでしょう。
この章句が説くこと
尚有一種生死念頭毫髪掛帯便於全体有未融釈処
関連する章句
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伝習録・黄省曾録「志士仁人」の章を問う。先生曰く、「只だ世上の人、都て生身命子を把(と)りて看得ること太だ重きが為に、当に死すべきと当に死すべからざるとを問わず、定めて宛転委曲して保全せんことを要す。此を以て天理を却って丟(す)て去れり。心を忍びて理を害す。何者か為さざらん。若し天理に違わば、便ち禽獣と異なる無し。便ち偷生して世上に百千年在るも、也(また)千百年の禽獣を做し了るに過ぎず。学者は此等の処に於て看得ること明白ならんことを要す。比干・龍逢は、只だ也た看得ること分明なるが為に、所以に能く他の仁を成就し得たり」と。
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伝習録・黄省曾録一友問う、「書を読みて記し得ず。如何」と。先生曰く、「只だ暁り得んことを要す。如何ぞ記し得んことを要さんや。暁り得んことを要するも已に是れ第二義に落つ。只だ自家の本体を明らかにし得んことを要す。若し徒らに記し得んことを要さば、便ち暁り得ず。若し徒らに暁り得んことを要さば、便ち自家の本体を明らかにし得ず」と。
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伝習録・黄以方録先生、嘗て学者に語りて曰く、「心体の上、一念の留滞を著け得ず。就ち眼に些子の塵沙を著け得ざるが如し。些子は能く幾多を得んや。眼に満つれば便ち昏天黒地なり」と。又た曰く、「這一念は但だ是れ私念のみならず、便ち好き的の念頭も亦た些子を著け得ず。眼中に些の金玉の屑を放つが如きは、眼も亦た開き得ず」と。
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伝習録・黄省曾録問う、「『逝く者は斯くの如きか』は、是れ自家の心性の活潑潑地なるを説くや否や」と。先生曰く、「然り。須らく時時に致良知の功夫を用うるを要して、方纔(はじ)めて活潑潑地なり。方纔めて他の川水と一般なり。若し須臾も間断せば、便ち天地と相い似ず。此れは是れ学問の極至の処なり。聖人も也(また)只だ此くの如し」と。
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『了凡四訓』立命之學・夭壽貳はず余に語りて曰く「符籙家に云ふ有り『符を書くことを會せざれば、鬼神に笑はる。此に秘傳有り、只だ是れ念を動かさざるなり』と。筆を執りて符を書くに、先づ萬緣を把りて放下し、一塵も起こさず。此の念頭動かざる處より、一點を下す。之を混沌開基と謂ふ。此に由りて一筆に揮ひ成し、更に思慮無ければ、此の符便ち靈なり。凡そ天に祈りて命を立つるは、都て無思無慮の處より感格するを要す。 「孟子は立命の學を論じて、曰く『夭壽貳はず』と。夫れ夭と壽とは、至りて貳なる者なり。其の念を動かさざる時に當りて、孰か夭為る。孰か壽為る。細かに之を分かてば、豐歉貳はずして、然る後に貧富の命を立つべし。窮通貳はずして、然る後に貴賤の命を立つべし。夭壽貳はずして、然る後に生死の命を立つべし。人世間に生まれて、惟だ死生を重しと為す。夭壽と曰へば、則ち一切の順逆皆な之に該ぬ。
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言志四録・南洲手抄生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。
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