伝習録 / 黄省曾録
又曰:「目無體,以萬物之色為體;耳無體,以萬物之聲為體;鼻無體,以萬物之臭為體;口無體,以萬物之味為體;心無體,以天地萬物感應之是非為體。」
新字:又曰:「目無体,以万物之色為体;耳無体,以万物之声為体;鼻無体,以万物之臭為体;口無体,以万物之味為体;心無体,以天地万物感応之是非為体。」
書き下し
又た曰く、「目に体無し。万物の色を以て体と為す。耳に体無し。万物の声を以て体と為す。鼻に体無し。万物の臭を以て体と為す。口に体無し。万物の味を以て体と為す。心に体無し。天地万物の感応の是非を以て体と為す」と。
現代語訳
また言われた。「目に本体はない。万物の色を本体とする。耳に本体はない。万物の声を本体とする。鼻に本体はない。万物の匂いを本体とする。口に本体はない。万物の味を本体とする。心に本体はない。天地万物との感応における是非を本体とする」。
解説
私たちの五感は、それ単体では意味を持ちません。目は色を映して初めて「見る」という働きをなし、耳は音を聞いて初めて「聞く」という働きをなします。心もまた同じで、世界や他者との関わりの中で、様々な出来事を感じ、判断することで、その働きが生まれます。心は、閉じこもるものではなく、外の世界との豊かな交流を通じて、初めてその真価を発揮するのです。
この章句が説くこと
心無体以天地万物感応之是非為体
関連する章句
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伝習録・黄以方録「心は是れ一塊の血肉にあらず。凡そ知覚する処、便ち是れ心なり。耳目の視聴を知り、手足の痛痒を知るが如し。此の知覚、便ち是れ心なり」と。
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伝習録・黄以方録問う、「人心と物とは体を同じくす。吾が身の原と是れ血気の流通するが如きは、所以に之を体を同じくすと謂う。人に於てせば便ち体を異にせん。禽・獣・草・木は益々遠し。而るに何ぞ之を体を同じくすと謂わんや」と。先生曰く、「你、只だ感応の機の上に在りて看よ。豈に但だ禽・獣・草・木のみならんや。天地と雖も也(また)我と体を同じくする的なり。鬼神も也た我と体を同じくする的なり」と。問わんことを請う。先生曰く、「你、這個の天地の中間を看よ。甚麼か是れ天地の心ぞ」と。対えて曰く、「嘗て聞く、人は是れ天地の心なり、と」。曰く、「人は又た甚麼をか叫びて心と做すか」と。対えて曰く、「只だ是れ一個の霊明なり」と。「知るべし、天に充ち地に塞がる中間、只だ這箇の霊明有るのみ。人は只だ形体の為に自ら間隔せり。我の霊明は、便ち是れ天地・鬼神の主宰なり。天に我の霊明無くんば、誰か去きて他の高きを仰がん。地に我の霊明無くんば、誰か去きて他の深きを俯さん。鬼神に我の霊明無くんば、誰か去きて他の吉・凶・災・祥を辨ぜん。天地・鬼神・万物は、我の霊明を離却せば、便ち天地・鬼神・万物無からん。我の霊明は、天地・鬼神・万物を離却せば、亦た我の霊明無からん。此くの如くんば、便ち是れ一気の流通なり。如何ぞ他と間隔し得んや」と。又た問う、「天地・鬼神・万物は、千古、見在す。何ぞ我の霊明を没し了らば、便ち倶に無からんや」と。曰く、「今、死せる人を看よ。他の這些の精霊、游散し了る。他の天地・万物は尚お何処にか在らん」と。
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伝習録・黄以方録先生曰く、「人の本体は、常常、是れ寂然不動的なり。常常、是れ感じて遂に通ずる的なり。未だ応ぜざるは是れ先にあらず、已に応ずるは是れ後にあらず」と。
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伝習録・陸澄録問う、「身の主は心と為り、心の霊明は是れ知、知の発動は是れ意、意の著く所は物と為る。是れ此くの如きや否や」と。先生曰く、「亦た是なり」と。
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伝習録・黄省曾録先生、南鎮に遊ぶ。一友、巌中の花樹を指して問いて曰く、「天下に心外の物無しとせば、此の花樹の如きは深山中に在りて自ら開き自ら落つ。我が心に於て亦た何の相い関するあらん」と。先生曰く、「你、未だ此の花を看ざる時、此の花は汝の心と同じく寂に帰す。你、来たりて此の花を看る時、則ち此の花の顔色は一時に明白に起こり来たる。便ち此の花は你の心の外に在らざるを知る」と。
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伝習録・陸澄録問う、「心は物を逐わんと要す。如何にせば則ち可ならん」と。先生曰く、「人君は端拱清穆にして、六卿は職を分かち、天下は乃ち治まる。心は五官を統ぶ。亦た此くの如くならんことを要す。今、眼、視んと要する時、心は便ち逐いて色の上に在り。耳、聴かんと要する時、心は便ち逐いて声の上に在り。人君の官を選ばんと要する時、便ち自ら去きて吏部に坐し、軍を調えんと要する時、便ち自ら去きて兵部に坐するが如し。此くの如くんば、豈に惟だ君の体を失却するのみならんや。六卿も亦た皆な其の職を得ず」と。
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