伝習録 / 黄省曾録
先生遊南鎮。一友指巖中花樹問曰:「天下無心外之物:如此花樹在深山中自開自落,於我心亦何相關?」先生曰:「你未看此花時,此花與汝心同歸於寂;你來看此花時,則此花顏色一時明白起來。便知此花不在你的心外。」
新字:先生遊南鎮。一友指巖中花樹問曰:「天下無心外之物:如此花樹在深山中自開自落,於我心亦何相関?」先生曰:「你未看此花時,此花与汝心同帰於寂;你来看此花時,則此花顔色一時明白起来。便知此花不在你的心外。」
書き下し
先生、南鎮に遊ぶ。一友、巌中の花樹を指して問いて曰く、「天下に心外の物無しとせば、此の花樹の如きは深山中に在りて自ら開き自ら落つ。我が心に於て亦た何の相い関するあらん」と。先生曰く、「你、未だ此の花を看ざる時、此の花は汝の心と同じく寂に帰す。你、来たりて此の花を看る時、則ち此の花の顔色は一時に明白に起こり来たる。便ち此の花は你の心の外に在らざるを知る」と。
現代語訳
先生が南鎮に遊ばれた。ある友人が岩の中の花木を指して問うた。「天下に心の外の物はないというなら、この花木は深い山の中で自ら咲き自ら散ります。私の心と何の関わりがありますか」。先生は「君がこの花を見ていない時、この花は君の心と同じく静寂に帰している。君が来てこの花を見た時、この花の色が一時に明らかに起こり立つ。この花が君の心の外にないと分かる」と言われた。
解説
目の前の出来事が、自分にとって意味を持つかどうかは、私たちの意識にかかっています。例えば、山奥でひっそり咲く花も、私たちがその存在に気づき、心を向けるまでは、ただそこにあるだけかもしれません。しかし、一度その花を「美しい」と感じた瞬間、花は私たちの中で生き生きとした意味を持ち始めます。世界は、私たちが関心を持ち、心を動かすことで、初めてその豊かな色彩を現すのです。
この章句が説くこと
你未看此花時此花与汝心同帰於寂你来看此花時則此花顔色一時明白起来
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