伝習録 / 黄省曾録
何廷仁、黃正之、李侯璧、汝中、德洪侍坐。先生顧而言曰:「汝輩學問不得長進,只是未立志。」侯璧起而對曰:「珙亦願立志。」先生曰:「難說不立,未是必為聖人之志耳。」對曰:「願立必為聖人之志。」先生曰:「你真有聖人之志,良知上更無不盡。良知上留得些子別念掛帶,便非必為聖人之志矣。」洪初聞時,心若未服;聽說到此,不覺悚汗。
新字:何廷仁、黄正之、李侯璧、汝中、徳洪侍坐。先生顧而言曰:「汝輩学問不得長進,只是未立志。」侯璧起而対曰:「珙亦願立志。」先生曰:「難説不立,未是必為聖人之志耳。」対曰:「願立必為聖人之志。」先生曰:「你真有聖人之志,良知上更無不尽。良知上留得些子別念掛帯,便非必為聖人之志矣。」洪初聞時,心若未服;聴説到此,不覚悚汗。
書き下し
何廷仁・黄正之・李侯璧・汝中・徳洪、侍坐す。先生、顧みて言いて曰く、「汝輩の学問、長進を得ざるは、只だ是れ未だ志を立てざればなり」と。侯璧、起ちて対えて曰く、「珙も亦た志を立てんことを願う」と。先生曰く、「立てずと説き難し。未だ是れ必ず聖人と為らんの志ならざるのみ」と。対えて曰く、「必ず聖人と為らんの志を立てんことを願う」と。先生曰く、「你、真に聖人の志有らば、良知の上、更に尽くさざる無し。良知の上に些子の別念の掛帯するを留め得ば、便ち必ず聖人と為らんの志に非ざるなり」と。洪、初め聞く時、心、未だ服せざるが若し。説きて此に到るを聴き、覚えず悚汗す。
現代語訳
何廷仁・黄正之・李侯璧・王汝中・銭徳洪が侍っていた。先生は顧みて「君たちの学問が進まないのは、志を立てていないからだ」と言われた。李侯璧は立ち上がって「私も志を立てたいと願っています」と答えた。先生は「立てていないとは言いにくい。ただ、必ず聖人になるという志ではないだけだ」と言われた。「必ず聖人になる志を立てたいと願います」。先生は「本当に聖人になる志があれば、良知の上に尽くさないことはない。良知の上に、少しでも別の念が引っかかっていれば、それは必ず聖人になる志ではない」と言われた。徳洪は初め聞いた時、心が服さなかった。ここまで聞いて、思わず冷や汗が出た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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伝習録・陸澄録唐詡問う、「志を立つるは是れ常に個の善念を存し、善を為し悪を去らんことを要するか」と。曰く、「善念存する時は、即ち是れ天理なり。此の念は即ち善なり。更に何の善をか思わん。此の念は悪に非ず。更に何の悪をか去らん。此の念は樹の根芽の如し。志を立つる者は、長く此の善念を立つるのみ。『心の欲する所に従いて矩を踰えず』とは、只だ是れ志の熟する処に到るなり」と。
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伝習録・陸澄録志を立つるを問う。先生曰く、「只だ念念に天理を存せんことを要すれば、即ち是れ志を立つるなり。能く此を忘れざれば、久しくして則ち自然に心中に凝聚す。猶お道家の所謂る『聖胎を結ぶ』のごときなり。此の天理の念、常に存すれば、馴(したが)いて美・大・聖・神に至る。亦た只だ此の一念の存養擴充より去るのみ」と。
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『洗心洞箚記』卷上・第八十五條或ひと立志の義を問ふ。曰く、先づ志の字を知りて可なり。曰く、心の之く所之を志と謂ふ、是か。曰く、否、此れ立志の志の義に非ざるなり。夫れ志の字は士に从ひ心に从ふ。是に由りて之を観れば、則ち士の心を立つるのみ。士の心は、則ち孟子の所謂恒産無くして恒心有る者は、惟だ士のみ能くすと為す。其の恒心とは、何ぞや。貧賤禍害を以て善を為すの心を易へざるなり。故に学者先づ其の心を立てて、以て聖学に従事すれば、則ち種子を下して実を成すを望むが如し。因りて息まざるの功を用ふれば、乃ち賢と為り聖と為る、其れ亦是に由りて臻らんか。
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伝習録・黄省曾録一友、静坐して見る有り。馳せて先生に問う。答えて曰く、「吾、昔、滁に居る時、諸生の多く知解・口耳の異同を務め、得るに益無きを見る。姑(しばら)く之に静坐を教う。一時、光景を窺見し、頗る近効を収む。之を久しくして漸く静を喜び動を厭い、枯槁に流入するの病有り。或いは務めて玄解妙覚を為し、人の聴聞を動かす。故に邇来、只だ『良知を致す』を説く。良知、明白ならば、你が静処に去きて体悟するに随うも也(また)好し。你が事上に去きて磨錬するに随うも也た好し。良知の本体は原と是れ動無く静無き的なり。此れ便ち是れ学問の頭脳なり。我の這個の話頭は、滁州より今に到るまで、亦た較過すること幾番ぞ。只だ是れ『致良知』の三字のみ病無し。医は肱を折るを経て、方に能く人の病理を察す」と。
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伝習録・答周道通書呉・曾の両生至り、備さに道通の懇切に道を為すの意を道う。殊に相い念うを慰む。道通の若きは、真に篤信好学の者と謂うべし。憂病の中の会にて、両生と細論する能わず。然れども両生も亦た自ら志向有り。肯えて功を用うる者は、見る毎に輒ち進む有るを覚ゆ。区区に在りては誠に両生の遠来に負く無き能わず。両生に在りては則ち亦た庶幾(ちか)くは其の遠来の意に負く無からん。別に臨み、此の冊を以て道通の意を致し、数語を書せんことを請う。荒憒(こうかい)にして言うべき者無し。輒ち道通の来書中に問う所の数節を以て、略ぼ転語を下して奉酬す。草草にして殊に詳細ならず。両生も当に亦た自ら能く口悉すべきなり。来書に云う、「日用の工夫は只だ是れ『志を立つ』。近来、先生の誨言に於て時時に体験し、愈々益ます明白なり。然れども朋友に於て一時も相い離るる能わず。若し朋友の講習を得ば、則ち此の志は繞(めぐ)りて精健闊大にして、纔(はじ)めて生意有り。若し三五日、朋友の相い講ずるを得ずんば、便ち微弱なるを覚え、事に遏(あ)えば便ち困しむ会(べ)く、亦た時に忘るる会し。乃ち今、朋友の相い講ずるの日無くんば、還(な)お只だ静坐し、或いは書を看、或いは游衍経行す。凡そ目に寓し身を措くこと、悉く取りて以て此の志を培養す。頗る意思の和適なるを覚ゆ。然れども終に朋友の講聚して、精神流動し、生意の更に多きに如かざるなり。群を離れ索居するの人は、当に更に何の法有りて以て之に処すべきか」と。此の段は道通の日用の工夫の得る所を験するに足る。工夫の大略も亦た只だ是れ此くの如く用う。只だ間断無きを要す。純熟を得るの後に到らば、意思は又た自ら同じからざらん。大抵、吾人の学を為すに、緊要の大頭脳は、只だ是れ「志を立つ」なり。所謂る「困・忘」の病も、亦た只だ是れ志の真切を欠くなり。今、色を好むの人は、未だ嘗て困忘に病まず。只だ是れ一の真切なるのみ。自家の痛痒は、自家、須らく知り得るを会(よ)くすべく、自家、須らく搔摩し得るを会くすべし。既に自ら痛痒を知り得ば、自家、須らく搔摩し得ざる能わざるべし。仏家は之を「方便法門」と謂う。須らく是れ自家、調停斟酌すべし。他人は総て与に力め難し。亦た更に別法の設くべき無きなり。
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伝習録・黄修易録問う、「書を読むは此の心を調摂する所以にして、欠くべからざる的なり。但だ之を読むの時、一種の科目の意思、牽引して来たる。知らず、何を以て此を免れんや」と。先生曰く、「只だ良知の真切なるを要す。挙業を做すと雖も、心の累と為らず。総じて累有るも、亦た覚りて之に克つこと易きのみ。且つ書を読む時の如きは、良知は強記の心の是ならざるを知り得ば、即ち之を克ち去る。速やかならんことを欲するの心の是ならざる有らば、即ち之を克ち去る。多きを誇り靡(び)を鬬わすの心の是ならざる有らば、即ち之を克ち去る。此くの如くんば亦た只だ是れ終日、聖賢と印対し、是れ個の天理に純なるの心なり。他の書を読むに任すも、亦た只だ是れ此の心を調摂するのみ。何の累か之れ有らん」と。曰く、「開示を蒙ると雖も、奈(いかん)せん資質、庸下にして、実に累を免れ難し。竊かに聞く、窮通は命有り、と。上智の人は、恐らくは此を屑(いさぎよ)しとせざらん。不肖は声利の為に牽纏せられ、甘心して此を為す。徒らに自ら苦しむのみ。之を屏棄せんと欲するも、又た親に制せられ、舎て去る能わず。奈何せん」と。先生曰く、「此の事、辞を親に帰する者、多し。其の実は只だ是れ志無きなり。志、立ち得る時、良知の千事万事は只だ是れ一事なり。書を読み文を作るも安くんぞ能く人を累わさんや。人は自ら得失に累わさるるのみ」と。因りて嘆じて曰く、「此の学、明らかならず。知らず、此の処、幾多の英雄漢を担閣し了れり」と。
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