伝習録 / 黄省曾録
一友問:「讀書不記得,如何?」先生曰:「只要曉得,如何要記得?要曉得已是落第二義了,只要明得自家本體。若徒要記得,便不曉得;若徒要曉得,便明不得自家的本體。」
新字:一友問:「読書不記得,如何?」先生曰:「只要暁得,如何要記得?要暁得已是落第二義了,只要明得自家本体。若徒要記得,便不暁得;若徒要暁得,便明不得自家的本体。」
書き下し
一友問う、「書を読みて記し得ず。如何」と。先生曰く、「只だ暁り得んことを要す。如何ぞ記し得んことを要さんや。暁り得んことを要するも已に是れ第二義に落つ。只だ自家の本体を明らかにし得んことを要す。若し徒らに記し得んことを要さば、便ち暁り得ず。若し徒らに暁り得んことを要さば、便ち自家の本体を明らかにし得ず」と。
現代語訳
ある友人が「書を読んでも覚えられません。どうしましょう」と問うた。先生は「ただ分かればよい。覚える必要があろうか。分かろうとするのも、すでに第二義に落ちている。ただ自分の本体を明らかにすることだ。ただ覚えようとすれば、分からなくなる。ただ分かろうとすれば、自分の本体を明らかにできない」と言われた。
解説
私たちは何かを学ぶとき、「覚えること」や「理解すること」を目標にしがちです。しかしこの一節は、それらもまだ本質ではないと説きます。本当に大切なのは、学んだことを通して「自分の本体を明らかにすること」、つまり自己の本質に気づくことだというのです。表面的な知識の習得に囚われすぎると、かえって深い洞察に至る道を閉ざしてしまう。学びの目的をどこに置くかで、得られるものが大きく変わると教えてくれます。
この章句が説くこと
只要暁得如何要記得要暁得已是落第二義了本質学問
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