伝習録 / 黄省曾録
問:「『思無邪』一言,如何便蓋得三百篇之義?」先生曰:「豈特三百篇?六經只此一言便可該貫。以至窮古今天下聖賢的話,『思無邪』一言也可該貫。此外更有何說?此是一了百當的功夫。」
新字:問:「『思無邪』一言,如何便蓋得三百篇之義?」先生曰:「豈特三百篇?六経只此一言便可該貫。以至窮古今天下聖賢的話,『思無邪』一言也可該貫。此外更有何説?此是一了百当的功夫。」
書き下し
問う、「『思い、邪無し』の一言、如何ぞ便ち三百篇の義を蓋(おお)い得んや」と。先生曰く、「豈に特(た)だ三百篇のみならんや。『六経』も只だ此の一言にて便ち該貫すべし。以て古今天下の聖賢の話を窮むるに至るまで、『思い、邪無し』の一言も也(また)該貫すべし。此の外、更に何の説か有らん。此れは是れ一了百当の功夫なり」と。
現代語訳
問うた。「『思いに邪がない』の一言が、どうして詩三百篇の意味を覆えるのですか」。先生は「三百篇だけだろうか。『六経』もこの一言で貫ける。古今天下の聖賢の言葉を窮めるまで、この一言で貫ける。他に何の説があろう。これが一つで百に当たる工夫だ」と言われた。
解説
膨大な古典を、たった一言で貫くと言います。要約ではありません。すべてが同じ一点を指しているという確信です。「一つで百に当たる工夫」。核心が一つに定まれば、量の多さは問題にならなくなるのです。
この章句が説くこと
六経只此一言便可該貫此是一了百当的功夫