伝習録 / 黄修易録
黃勉之問:「『無適也,無莫也,義之與比』,事事要如此否?」先生曰:「固是事事要如此,須是識得個頭腦乃可,『義』即是良知,曉得良知是個頭腦,方無執著。且如受人餽送,也有今日當受的,他日不當受的;也有今日不當受的,他日當受的。你若執著了今日當受的,便一切受去;執著了今日不當受的,便一切不受去,便是『適』、『莫』,便不是良知的本體,如何喚得做『義』?」
新字:黄勉之問:「『無適也,無莫也,義之与比』,事事要如此否?」先生曰:「固是事事要如此,須是識得個頭脳乃可,『義』即是良知,暁得良知是個頭脳,方無執著。且如受人餽送,也有今日当受的,他日不当受的;也有今日不当受的,他日当受的。你若執著了今日当受的,便一切受去;執著了今日不当受的,便一切不受去,便是『適』、『莫』,便不是良知的本体,如何喚得做『義』?」
書き下し
黄勉之問う、「『適する無きなり、莫(ばく)する無きなり、義、之と比(した)しむ』は、事事、此くの如くならんことを要すや否や」と。先生曰く、「固より是れ事事、此くの如くならんことを要す。須らく是れ個の頭脳を識り得て乃ち可なり。『義』は即ち是れ良知なり。良知は是れ個の頭脳なるを暁り得ば、方に執著する無し。且つ人の餽送を受くるが如きは、也(また)今日、当に受くべき的有り、他日、当に受くべからざる的有り。也た今日、当に受くべからざる的有り、他日、当に受くべき的有り。你、若し今日、当に受くべき的に執著し了らば、便ち一切、受け去らん。今日、当に受くべからざる的に執著し了らば、便ち一切、受けざらん。便ち是れ『適』『莫』なり。便ち是れ良知の本体に非ず。如何ぞ喚びて『義』と做し得んや」と。
現代語訳
黄勉之が問うた。「『必ずこうと決めず、必ずこうしないとも決めず、義に親しむ』は、すべての事でこうすべきですか」。先生は言われた。「もとよりそうすべきだ。ただ要となる中心を知ってこそだ。『義』が良知だ。良知が中心だと分かれば、執着がなくなる。人から贈り物を受けるように、今日は受けるべきものが、後日は受けるべきでないことがある。今日は受けるべきでないものが、後日は受けるべきことがある。もし今日受けるべきものに執着すれば、すべて受けてしまう。今日受けるべきでないものに執着すれば、すべて受けなくなる。それが『必ずこうと決める』ことだ。良知の本体ではない。どうして『義』と呼べよう」。
解説
この章句が説くこと
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