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伝習録 / 黄修易録

又曰:「諸君功夫,最不可『助長』。上智絕少,學者無超入聖人之理,一起一伏,一進一退,自是功夫節次,不可以我前日用得功夫了,今卻不濟,便要矯強做出一個沒破綻的模樣,這便是『助長』,連前些子功夫都壞了。此非小過。譬如行路的人遭一蹶跌,起來便走,不要欺人做那不曾跌倒的樣子出來。諸君只要常常懷個『遁世無悶,不見是而無悶』之心,依此良知忍耐做去,不管人非笑,不管人毀謗,不管人榮辱,任他功夫有進有退,我只是這致良知的主宰不息,久久,自然有得力處,一切外事亦自能不動。」又曰:「人若著實用功,隨人毀謗,隨人欺慢,處處得益,處處是進德之資;若不用功,只是魔也,終被累倒。」

新字:又曰:「諸君功夫,最不可『助長』。上智絶少,學者無超入聖人之理,一起一伏,一進一退,自是功夫節次,不可以我前日用得功夫了,今卻不済,便要矯強做出一個没破綻的模様,這便是『助長』,連前些子功夫都壊了。此非小過。譬如行路的人遭一蹶跌,起来便走,不要欺人做那不曽跌倒的様子出来。諸君只要常常懐個『遁世無悶,不見是而無悶』之心,依此良知忍耐做去,不管人非笑,不管人毀謗,不管人栄辱,任他功夫有進有退,我只是這致良知的主宰不息,久久,自然有得力処,一切外事亦自能不動。」又曰:「人若著実用功,随人毀謗,随人欺慢,処処得益,処処是進徳之資;若不用功,只是魔也,終被累倒。」

書き下し

又た曰く、「諸君の功夫、最も『助長』すべからず。上智は絶えて少なし。学者に聖人に超入するの理無し。一起一伏、一進一退、自ら是れ功夫の節次なり。我、前日、功夫を用い得了り、今、却って済(な)らずとして、便ち矯強して一個の破綻無きの模様を做し出ださんと要すべからず。這れ便ち是れ『助長』なり。前の些子の功夫まで連ねて都て壊れ了れり。此れ小過に非ず。譬えば路を行くの人、一たび蹶跌に遭い、起き来たりて便ち走るが如し。人を欺きて那の曾て跌倒せざるの様子を做し出だすを要せず。諸君は只だ常常、個の『世を遯れて悶ゆる無く、是とせられずして悶ゆる無し』の心を懐き、此の良知に依りて忍耐して做し去らんことを要す。人の非笑を管せず、人の毀謗を管せず、人の栄辱を管せず、他の功夫に進有り退有るに任す。我は只だ是れ這の致良知の主宰、息まず。久久にして、自然に力を得る処有り。一切の外事も亦た自ら能く動かず」と。又た曰く、「人、若し著実に功を用いなば、人の毀謗に随い、人の欺慢に随いて、処処に益を得、処処に是れ徳を進むるの資なり。若し功を用いずんば、只だ是れ魔なり。終に累倒せらる」と。

現代語訳

また言われた。「諸君の工夫は、最も『助長』してはならない。上智はごくわずかだ。学ぶ者が聖人に飛び入る道理はない。上がったり下がったり、進んだり退いたりが、工夫の順序だ。以前は努力できたのに今はできないからと、無理に破綻のない姿を作り出してはならない。それが『助長』で、以前の工夫まで壊れる。小さな過ちではない。道を行く人が転んだら、起き上がってまた歩けばよい。人を欺いて、転ばなかったふりをする必要はない。諸君はただ『世を遁れて悶えず、認められなくても悶えない』心を持ち、良知に依って忍耐して行え。人の嘲笑を気にせず、誹謗を気にせず、栄辱を気にせず、工夫に進退があるに任せよ。私はただ、この致良知の主宰がやまないだけだ。長く続ければ、自ずと力を得る所がある」。

解説

「転んだら、起き上がってまた歩けばよい。転ばなかったふりをする必要はない」。調子の悪い時期を隠して、破綻のない姿を取り繕う。それが助長です。上がり下がりがあるのが工夫の正常な姿であり、繕った瞬間に、それまでの努力まで壊れてしまうのです。

この章句が説くこと

譬如行路的人遭一蹶跌起来便走不要欺人做那不曽跌倒的様子出来

この一句を、あなたの毎日に。

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