伝習録 / 陳九川録
門人在座,有動止甚矜持者。先生曰:「人若矜持太過,終是有弊。」曰:「矜得太過,如何有弊?」曰︰「人只有許多精神,若專在容貌上用功,則於中心照管不及者多矣。」有太直率者。先生曰:「如今講此學,卻外面全不檢束,又分心與事為二矣。」
新字:門人在座,有動止甚矜持者。先生曰:「人若矜持太過,終是有弊。」曰:「矜得太過,如何有弊?」曰︰「人只有許多精神,若専在容貌上用功,則於中心照管不及者多矣。」有太直率者。先生曰:「如今講此学,却外面全不検束,又分心与事為二矣。」
書き下し
門人、座に在り。動止、甚だ矜持する者有り。先生曰く、「人、若し矜持すること太だ過ぎば、終に是れ弊有り」と。曰く、「矜すること太だ過ぐるも、如何ぞ弊有らんや」と。曰く、「人は只だ許多の精神有り。若し専ら容貌の上に功を用いなば、則ち中心に於て照管の及ばざる者、多からん」と。太だ直率なる者有り。先生曰く、「如今、此の学を講じて、却って外面、全く検束せずんば、又た心と事とを分ちて二と為すなり」と。
現代語訳
門人の中に、立ち居振る舞いをひどく気にする者がいた。先生は「人があまりに体裁を気にすれば、結局は弊がある」と言われた。「気にしすぎて、なぜ弊があるのですか」。「人の精神には限りがある。もっぱら外見に努力すれば、心の内に目が届かないことが多くなる」。また、あまりに無造作な者がいた。先生は「この学を講じながら、外面をまったく整えなければ、心と事を二つに分けることだ」と言われた。
解説
私たちは、外見や立ち居振る舞いを気にしすぎたり、逆に全く気にしなかったりすることがあります。しかし、この教えは、どちらに偏っても弊害があることを示唆します。外見ばかりに気を取られれば、肝心な心の状態に意識が届かなくなり、内面が伴わなくなる。かといって、外見を全く顧みなければ、心と行動がバラバラになり、周囲との調和を欠くことにもなりかねません。大切なのは、内面の誠実さと外面の振る舞いが一致していること。バランスの取れた姿勢が、信頼を築く上で不可欠です。
この章句が説くこと
人只有許多精神若専在容貌上用功則於中心照管不及者多矣
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