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伝習録 / 陳九川録

問:「儒者到三更時分,掃蕩胸中思慮,空空靜靜,與釋氏之靜只一般,兩下皆不用,此時何所分別?」先生曰:「動、靜只是一個。那三更時分空空靜靜的,只是存天理,即是如今應事接物的心;如今應事接物的心,亦是循此天理,便是那三更時分空空靜靜的心。故動、靜只是一個,分別不得。知得動、靜合一,釋氏毫釐差處亦自莫揜矣。」

新字:問:「儒者到三更時分,掃蕩胸中思慮,空空静静,与釈氏之静只一般,両下皆不用,此時何所分別?」先生曰:「動、静只是一個。那三更時分空空静静的,只是存天理,即是如今応事接物的心;如今応事接物的心,亦是循此天理,便是那三更時分空空静静的心。故動、静只是一個,分別不得。知得動、静合一,釈氏毫釐差処亦自莫揜矣。」

書き下し

問う、「儒者、三更の時分に到り、胸中の思慮を掃蕩し、空空静静たるは、釈氏の静と只だ一般なり。両下、皆な用いず。此の時、何の分別する所ぞ」と。先生曰く、「動・静は只だ是れ一個なり。那の三更の時分の空空静静なるは、只だ是れ天理を存す。即ち是れ如今、事に応じ物に接するの心なり。如今、事に応じ物に接するの心も、亦た是れ此の天理に循う。便ち是れ那の三更の時分の空空静静の心なり。故に動・静は只だ是れ一個なり。分別し得ず。動・静の合一するを知り得ば、釈氏の毫釐の差う処も亦た自ら揜(おお)う莫からん」と。

現代語訳

問うた。「儒者が真夜中に胸中の思慮を払い、空々として静かなのは、仏教の静けさと同じです。どちらも用いない。この時、何の区別がありますか」。先生は「動と静は一つだ。真夜中に空々として静かなのは、天理を保っているのだ。それが今、事に応じ物に接する心だ。今、事に応じ物に接する心も、この天理に従っている。それが真夜中の空々として静かな心だ。だから動と静は一つで、分けられない。動と静の合一を知れば、仏教とのわずかな差も覆い隠せない」と言われた。

解説

真夜中に静坐した時の心と、昼間に仕事をしている時の心。同じものだと言います。もし違うなら、静坐の時だけの心は本物ではない。動と静で心が変わってしまうこと自体が、問題なのです。区別が生じる所に、差が現れます。

この章句が説くこと

動静只是一個分別不得

この一句を、あなたの毎日に。

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