伝習録 / 陳九川録
于中、國裳輩同侍食。先生曰︰「凡飲食只是要養我身,食了要消化;若徒蓄積在肚裏,便成痞了,如何長得肌膚?後世學者博聞多識,留滯胸中,皆傷食之病也。」
新字:于中、国裳輩同侍食。先生曰︰「凡飲食只是要養我身,食了要消化;若徒蓄積在肚裏,便成痞了,如何長得肌膚?後世学者博聞多識,留滞胸中,皆傷食之病也。」
書き下し
于中・国裳の輩、同じく侍食す。先生曰く、「凡そ飲食は只だ是れ我が身を養わんことを要す。食し了らば消化せんことを要す。若し徒らに肚裏に蓄積せば、便ち痞(ひ)と成らん。如何ぞ肌膚を長ぜんや。後世の学者、博く聞き多く識り、胸中に留滞するは、皆な傷食の病なり」と。
現代語訳
于中・国裳らと共に食事に侍った。先生は言われた。「飲食は、身を養うためだ。食べたら消化しなければならない。ただ腹に溜め込めば、痞えとなる。どうして肌肉が育とう。後世の学者が、広く聞き多く知って、胸に溜め込むのは、みな食あたりの病だ」。
解説
多くの知識を得ることは素晴らしいことですが、それをただ頭の中に溜め込むだけでは、かえって弊害になることがあります。この一節は、食事を例に、知識も消化し、血肉に変えることの重要性を説きます。消化されない知識は、体に負担をかける「痞え」となり、私たちを成長させるどころか、停滞させてしまうかもしれません。大切なのは、得た知識を自分の中で咀嚼し、考え、実践を通して自分のものにすること。そうすることで初めて、知識は真の力となり、私たちを豊かに育んでくれるでしょう。
この章句が説くこと
後世学者博聞多識留滞胸中皆傷食之病也
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