伝習録 / 陳九川録
虔州將歸,有詩別先生云:「良知何事繫多聞,妙合當時已種根,好惡從之為聖學,將迎無處是乾元。」先生曰:「若未來講此學,不知說『好惡從之』從個甚麼。」敷英在座曰:「誠然。嘗讀先生《大學古本序》,不知所說何事;及來聽講許時,乃稍知大意。」
新字:虔州将帰,有詩別先生云:「良知何事繋多聞,妙合当時已種根,好悪従之為聖学,将迎無処是乾元。」先生曰:「若未来講此学,不知説『好悪従之』従個甚麼。」敷英在座曰:「誠然。嘗読先生《大学古本序》,不知所説何事;及来聴講許時,乃稍知大意。」
書き下し
虔州、将に帰らんとし、詩有りて先生に別れて云う、「良知、何事ぞ多聞に繋がらん。妙合、当時、已に根を種う。好悪、之に従うは聖学と為す。将迎、処無きは是れ乾元」と。先生曰く、「若し未だ来たりて此の学を講ぜずんば、『好悪、之に従う』と説くも、個の甚麼に従うかを知らざらん」と。敷英、座に在りて曰く、「誠に然り。嘗て先生の『大学古本序』を読むも、説く所、何事なるかを知らず。来たりて聴講すること許時に及びて、乃ち稍(やや)大意を知る」と。
現代語訳
虔州を去るにあたり、私は詩を作って先生に別れを告げた。「良知はなぜ多く聞くことに繋がろう。妙なる合致は、当時すでに根を種えていた。好悪がこれに従うのが聖学であり、迎え送る所がないのが乾元だ」。先生は「もしこの学を講じに来ていなければ、『好悪がこれに従う』と言っても、何に従うのか分からなかっただろう」と言われた。敷英が座にいて「まことに。以前『大学古本序』を読みましたが、何の話か分かりませんでした。しばらく講義を聴いて、ようやく大意が分かりました」と言った。
解説
同じ文章を読んでも、その時の自分の状態や経験によって、受け取り方や理解の深さは大きく変わります。この一節は、かつては理解できなかった教えが、実際に講義を聴き、体験を重ねることで初めて腑に落ちたという弟子の言葉を通して、その事実を教えてくれます。知識は、ただ文字を追うだけでは身につきません。自らの心と向き合い、実践を通して深く味わうことで、初めてその真意が明らかになるのです。理解は、テキストの中にあるのではなく、読み手の内面に生まれるものだと言えるでしょう。
この章句が説くこと
若未来講此学不知説好悪従之従個甚麼実践本質
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第百五十条 武事は武芸に在らず武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。
-
伝習録・陳九川録先生、九川に問う、「『致知』の説に於て体験すること何如」と。九川曰く、「自ら同じからざるを覚ゆ。往時、操持するに常に個の恰好の処を得ず。此れ乃ち是れ恰好の処なり」と。先生曰く、「知るべし、是れ体し来たるは講を聴くと同じからざるを。我、初め与に講ずる時、爾は只だ是れ忽易にして、未だ滋味有らざるを知る。只だ這個の要妙、再び体して深き処に到らば、日に同じからざるを見ん。是れ窮尽無き的なり」と。又た曰く、「此の『致知』の二字は、真に是れ個の千古聖伝の秘なり。這裏に見到らば、『百世、以て聖人を俟ちて惑わず』」と。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人常にわが身をかへりみて、わが身に道を求むべし。実をつとめて、外をねがふ心あるべからず。人を責め、外に求むるは、実をつとむるにあらず。論語の内、孔子の言に、人の己を知らざることをうれへざれ、人を知らざることをうれふ。かやうの語、数章あり。其語意、大抵相似たり。聖人しばしばのたまふは、皆人に実を務むることを教へ給ふなるべし。学者の常に心に掛けて行ふべきことなり。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
-
『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る