伝習録 / 陳九川録
九川問:「此功夫卻於心上體驗明白,只解書不通。」先生曰:「只要解心。心明白,書自然融會。若心上不通,只要書上文義通,卻自生意見。」
新字:九川問:「此功夫却於心上体験明白,只解書不通。」先生曰:「只要解心。心明白,書自然融会。若心上不通,只要書上文義通,却自生意見。」
書き下し
九川問う、「此の功夫は却って心上に於て体験すること明白なり。只だ書を解するに通ぜず」と。先生曰く、「只だ心を解せんことを要す。心、明白ならば、書は自然に融会せん。若し心上に通ぜずして、只だ書上の文義に通ぜんことを要さば、却って自ら意見を生ぜん」と。
現代語訳
私は問うた。「この工夫は心の上では明白に体験できます。ただ書物の解釈が通りません」。先生は「ただ心を解こうとせよ。心が明白なら、書は自然に融け合う。もし心の上で通らずに、書の文の意味だけ通そうとすれば、勝手な見解を生むだけだ」と言われた。
解説
書物を読んだり、知識を学んだりする際、私たちはつい文字の意味を追うことに集中しがちです。しかし、この一節は、表面的な理解よりも「心を解する」ことの重要性を説きます。心が澄み渡り、物事の本質を捉える力が備わっていれば、書物の内容は自然と深く理解できるようになるでしょう。逆に、心が伴わないまま文字だけを追っても、それは単なる表層的な知識に留まり、自分勝手な解釈を生むだけかもしれません。学びの本質は、心のあり方にあると教えてくれます。
この章句が説くこと
只要解心心明白書自然融会読書
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