伝習録 / 陳九川録
先生曰:「大凡朋友,須箴規指摘處少,誘掖獎勸意多,方是。」後又戒九川云:「與朋友論學,須委曲謙下,『寬以居之』。」
新字:先生曰:「大凡朋友,須箴規指摘処少,誘掖獎勧意多,方是。」後又戒九川云:「与朋友論学,須委曲謙下,『寛以居之』。」
書き下し
先生曰く、「大凡そ朋友は、須らく箴規指摘の処、少なく、誘掖奨勧の意、多くして、方に是なるべし」と。後、又た九川を戒めて云う、「朋友と学を論ずるは、須らく委曲謙下、『寛にして以て之に居る』べし」と。
現代語訳
先生は言われた。「だいたい友人には、戒め責める言葉は少なく、導き励ます気持ちが多くて、初めてよい」。後にまた私を戒めて「友人と学を論じるには、細やかにへりくだり、『寛やかに居る』べきだ」と言われた。
解説
人間関係において、相手の誤りを指摘することは簡単ですが、本当に相手の成長を願うなら、その伝え方には配慮が必要です。この一節は、友人を導く際には、欠点を責めるよりも、励まし、良い方向へ促す気持ちを多く持つべきだと説きます。また、自分の意見を主張する際も、へりくだり、寛容な姿勢で臨むことの重要性を教えてくれます。相手が素直に耳を傾け、自ら考え、行動するきっかけとなるような関わり方が、真の友情を育む鍵となるでしょう。
この章句が説くこと
須箴規指摘処少誘掖奨勧意多方是
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