伝習録 / 陳九川録
崇一曰:「先生『致知』之旨發盡精蘊,看來這裏再去不得。」先生曰:「何言之易也!再用功半年看如何?又用功一年看如何?功夫愈久,愈覺不同,此難口說。」
新字:崇一曰:「先生『致知』之旨発尽精蘊,看来這裏再去不得。」先生曰:「何言之易也!再用功半年看如何?又用功一年看如何?功夫愈久,愈覚不同,此難口説。」
書き下し
崇一曰く、「先生の『致知』の旨、精蘊を発し尽くせり。看来たるに這裏、再び去るを得ず」と。先生曰く、「何ぞ之を言うこと易きや。再び功を用うること半年にして如何なるかを看よ。又た功を用うること一年にして如何なるかを看よ。功夫、愈々久しければ、愈々同じからざるを覚ゆ。此れ口説し難し」と。
現代語訳
欧陽崇一が「先生の『致知』の趣旨は、奥深さを尽くしておられます。これ以上、先はありません」と言った。先生は「なんと軽く言うことか。もう半年努力してどうなるか見よ。もう一年努力してどうなるか見よ。工夫が長くなるほど、違って見えてくる。これは口で説けない」と言われた。
解説
何かを深く理解したと感じた時、私たちはそこで満足しがちです。しかし、この教えは、その「分かった」という感覚が終点ではないと示唆します。学びや実践は、継続すればするほど、新たな側面が見えてくるものであり、その深さには底がありません。安易に「もう先はない」と決めつけるのではなく、常に探求の姿勢を持ち続けること。そうすることで、同じ事柄でも、時間とともに見え方が変わり、より豊かな理解へとつながっていくでしょう。
この章句が説くこと
何言之易也功夫愈久愈覚不同継続習慣学び
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