伝習録 / 陳九川録
先生曰:「人若知這良知訣竅,隨他多少邪思枉念,這裏一覺,都自消融;真個是靈丹一粒,點鐵成金。」
新字:先生曰:「人若知這良知訣竅,随他多少邪思枉念,這裏一覚,都自消融;真個是霊丹一粒,点鉄成金。」
書き下し
先生曰く、「人、若し這の良知の訣竅を知らば、他の多少の邪思枉念に随うも、這裏、一たび覚らば、都て自ら消融す。真箇に是れ霊丹一粒、鉄を点じて金と成すなり」と。
現代語訳
先生は言われた。「人がこの良知の秘訣を知れば、どれほど邪な思いや歪んだ念が来ても、ここで一たび覚れば、みな自ずと溶け去る。まことに霊薬一粒で、鉄を金に変えるようなものだ」。
解説
私たちは、心の中のネガティブな感情や間違った考えに一つずつ対処しようとし、その多さに圧倒されがちです。しかし、この教えは、それらを個別に消し去る必要はないと語ります。自分自身の「良知」に気づき、それに意識を向けることで、まるで霊薬が鉄を金に変えるように、邪な思いや歪んだ念は自然と溶け去っていくというのです。問題の根源に働きかけることで、表面的な多くの悩みが一気に解決に向かう、そんな心のあり方を教えてくれます。
この章句が説くこと
真箇是霊丹一粒点鉄成金
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