伝習録 / 陳九川録
先生曰:「這些子看得透徹,隨他千言萬語,是非誠偽,到前便明,合得的便是,合不得的便非,如佛家說『心印』相似,真是個試金石、指南針。」
新字:先生曰:「這些子看得透徹,随他千言万語,是非誠偽,到前便明,合得的便是,合不得的便非,如仏家説『心印』相似,真是個試金石、指南針。」
書き下し
先生曰く、「這些子、看得て透徹ならば、他の千言万語、是非誠偽に随うも、前に到らば便ち明らかなり。合し得る的は便ち是、合し得ざる的は便ち非なり。仏家の説く『心印』相似の如し。真に是れ個の試金石、指南針なり」と。
現代語訳
先生は言われた。「この一点を透徹して見られれば、千言万語が来ても、是非も誠偽も、目の前に来れば明らかだ。合うものは正しく、合わないものは誤りだ。仏家の言う『心印』のようなものだ。まことに試金石であり、羅針盤だ」。
解説
情報過多の現代において、何が正しく、何が誤っているのかを見極めるのは容易ではありません。この一節は、自分自身の「良知」を磨き上げることが、その判断基準となることを教えてくれます。良知は、まるで本物の金を見分ける試金石であり、進むべき道を示す羅針盤のようなものです。多くの情報に惑わされることなく、自分の内なる声に照らし合わせることで、物事の本質を見抜き、確かな方向性を見出すことができるでしょう。
この章句が説くこと
真是個試金石指南針判断力
関連する章句
-
伝習録・陳九川録先生曰く、「人、若し這の良知の訣竅を知らば、他の多少の邪思枉念に随うも、這裏、一たび覚らば、都て自ら消融す。真箇に是れ霊丹一粒、鉄を点じて金と成すなり」と。
-
伝習録・陳九川録庚辰、虔州に往きて再び先生に見ゆ。問う、「近来の功夫、稍(やや)頭脳を知るが若しと雖も、然れども個の穏当快楽の処を尋ね難し」と。先生曰く、「爾は却って心上に去きて個の天理を尋ぬ。此れ正に所謂る理障なり。此の間に個の訣竅有り」と。曰く、「請い問う、如何」と。曰く、「只だ是れ知を致すなり」と。曰く、「如何にして致さん」と。曰く、「爾の那の一点の良知は、是れ爾の自家底の準則なり。爾の意念の著く処、他は是ならば便ち是なるを知り、非ならば便ち非なるを知る。更に他を瞞(あざむ)くこと一些も得ず。爾は只だ他を欺かんことを要せず、実実落落として他に依著して做し去れ。善は便ち存し、悪は便ち去れ。他の這裏、何等か穏当快楽なる。此れ便ち是れ『格物』の真訣、『致知』の実功なり。若し這些の真機に靠著せずんば、如何ぞ去きて物を格さん。我も亦た近年、体貼し出だし来たりて此くの如く分明なり。初めは猶お只だ他に依らば恐らくは足らざる有らんと疑う。精細に看れば、些小の欠闕も無し」と。
-
伝習録・陳九川録九川問う、「此の功夫は却って心上に於て体験すること明白なり。只だ書を解するに通ぜず」と。先生曰く、「只だ心を解せんことを要す。心、明白ならば、書は自然に融会せん。若し心上に通ぜずして、只だ書上の文義に通ぜんことを要さば、却って自ら意見を生ぜん」と。
-
伝習録・黄省曾録「良知は只だ是れ個の是非の心なり。是非は只だ是れ個の好悪なり。只だ好悪すれば、就ち是非を尽くせり。只だ是非すれば、就ち万事万変を尽くせり」と。又た曰く、「是非の両字は是れ個の大規矩なり。巧の処は則ち其の人に存す」と。
-
伝習録・陳九川録九川問う、「自ら念慮を省するに、或いは邪妄に渉り、或いは預め天下の事を料理す。思うこと極処に到れば、井井として味有り。便ち繾綣として屏け難し。覚ること早ければ則ち易く、覚ること遅ければ則ち難きを覚ゆ。力を用いて克治すれば、愈々扞格を覚ゆ。惟だ稍(やや)念を他事に遷せば、則ち随いて両つながら忘る。此くの如く廓清せば、亦た害無きに似たり」と。先生曰く、「何ぞ須らく此くの如くなるべけんや。只だ良知の上に功夫を著くるを要す」と。九川曰く、「正に那の一時の知らざるを謂う」と。先生曰く、「我、這裏に自ら功夫有り。何に縁りてか他を得来たらん。只だ爾の功夫、断え了るが為に、便ち其の知を蔽う。既に断え了らば、則ち旧功を継続すれば便ち是れなり。何ぞ必ずしも此くの如くならんや」と。九川曰く、「直だ是れ鏖(たたか)い難し。知ると雖も他を丟(す)て去らず」と。先生曰く、「須らく是れ勇なるべし。功を用うること久しくば、自ら勇有り。故に曰く『是れ義を集めて生ずる者なり』と。勝ち得ること容易ならば、便ち是れ大賢なり」と。
-
伝習録・黄省曾録先生曰く、「『天に先んじて天も違わず』、天は即ち良知なり。『天に後れて天の時を奉ず』、良知は即ち天なり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る