伝習録 / 答聶文蔚
會稽素號山水之區,深林長谷,信步皆是,寒暑晦明,無時不宜,安居飽食,塵囂無擾,良朋四集,道義日新,優哉游哉,天地之間,寧復有樂於是者?孔子云:「不怨天,不尤人,下學而上達。」僕與二三同志方將請事斯語,奚暇外慕?獨其切膚之痛,乃有未能恝然者,輒復云云爾。
新字:会稽素号山水之区,深林長谷,信歩皆是,寒暑晦明,無時不宜,安居飽食,塵囂無擾,良朋四集,道義日新,優哉游哉,天地之間,寧復有楽於是者?孔子云:「不怨天,不尤人,下学而上達。」僕与二三同志方将請事斯語,奚暇外慕?独其切膚之痛,乃有未能恝然者,輒復云云爾。
書き下し
会稽は素より山水の区と号す。深林長谷、信歩、皆な是なり。寒暑晦明、時として宜しからざる無し。安居飽食、塵囂の擾す無く、良朋四集し、道義日に新たなり。優なるかな游なるかな。天地の間、寧ぞ復た是より楽しき者有らんや。孔子云う、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す」と。僕と二三の同志と、方に将に斯の語に事えんことを請わんとす。奚ぞ外に慕うに暇あらんや。独り其の切膚の痛みは、乃ち未だ恝然たる能わざる者有り。輒ち復た云云するのみ。
現代語訳
会稽はもとより山水の地と呼ばれる。深い林と長い谷が、歩けばどこにでもある。寒暑も晴曇も、適さない時がない。安らかに住み満ち足りて食べ、俗事の煩わしさがなく、良き友が四方から集まり、道義は日々新しい。ゆったりとしている。天地の間に、これより楽しいことがあろうか。孔子は「天を怨まず、人を咎めず、下から学んで上に達する」と言った。私は二、三の同志と、この言葉に従おうとしている。どうして外を慕う暇があろう。ただ、肌を切るような痛みだけは、平然としていられない。だからまた、こう述べるのだ。
解説
この章句が説くこと
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伝習録・答聶文蔚昔者、孔子の当時に在るや、其の諂と為すを議する者有り、其の佞と為すを譏る者有り、其の未だ賢ならざるを毀り、其の礼を知らずと為すを詆り、而して之を侮りて以て東家の丘と為す者有り、嫉みて之を沮む者有り、悪みて之を殺さんと欲する者有り。晨門・荷蕢の徒は、皆な当時の賢士なり。且つ曰く、「是れ其の不可なるを知りて之を為す者か」と。「鄙なるかな、硜硜乎たり。己を知る莫くんば、斯れ已まんのみ」と。子路の升堂の列に在ると雖も、尚お其の見る所に疑い無き能わず、其の往かんと欲する所を悦ばず、而して且つ之を以て迂と為す。則ち当時の夫子を信ぜざる者は、豈に特(た)だ十の二三のみならんや。然り而して夫子の汲汲遑遑として亡子を道路に求むるが若くにして、席を煖むるに暇あらざる者は、寧ぞ人の我を知り、我を信ずるを蘄むるを以てのみならんや。蓋し其の天地万物一体の仁は、疾痛迫切にして、之を已めんと欲すと雖も自ら已むを容れざる所有り。故に其の言に曰く、「吾、斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にせん」と。「其の身を潔くせんと欲して大倫を乱る」と。「果なるかな、之を難ずる末(な)し」と。嗚呼、此れ誠に天地万物を以て一体と為す者に非ずんば、孰か能く以て夫子の心を知らんや。其の世を遯れて悶ゆる無く、天を楽しみ命を知る者の若きは、則ち固より入るとして自得せざる無く、道は並び行われて相い悖らざるなり。
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伝習録・答聶文蔚僕の不肖、何ぞ敢えて夫子の道を以て己が任と為さんや。顧うに其の心も亦た已に稍(やや)疾痛の身に在るを加う。是を以て彷徨四顧し、将に其の我に助有る者を求めて、相い与に講じて其の病を去らんとするのみ。今、誠に豪傑同志の士を得て、扶持匡翼し、共に良知の学を天下に明らかにし、天下の人をして皆な自ら其の良知を致すを知り、以て相い安んじ相い養い、其の自私自利の蔽を去り、一たび讒妒勝忿の習を洗い、以て大同に済(な)らしめば、則ち僕の狂病も固より将に脱然として以て愈え、終に喪心の患いを免れんとす。豈に快ならずや。
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伝習録・答聶文蔚春の間、遠く迂途を労して枉顧され、証を問うこと惓倦たり。此の情、何ぞ当たるべけんや。已に二三の同志を期し、更に静地に処し、旬日を扳留して、少しく其の鄙見を効し、以て切劘の益を求めんとす。而して公は俗絆に期せられ、勢い能わざる有り。別れ去りて極めて怏怏、失う所有るが如し。忽ち箋恵を承く。反覆千余言、之を読みて甚だ浣慰無きこと無し。中間、推許は太だ過ぎたり。蓋し亦た奨掖の盛心なり。而して規礪は真切にして、之を賢聖の域に納れんと欲するを思い、又た諸を崇一に託して以て其の勤勤懇懇の懐いを致す。此れ深交篤愛に非ずんば、何を以て是に及ばんや。感を知り愧を知り、且つ其の以て之に堪うる無きを懼るるなり。然りと雖も、僕、亦た何ぞ敢えて自ら鞭勉せずして、徒らに感愧辞譲を以て為さんや。其の「思・孟・周・程は意無くして千載の下に相い遭う。其の天下に尽く信ぜらるるよりは、一人に真に信ぜらるるに若かず。道は固より自ら在り、学も亦た自ら在り。天下、之を信ずるも多しと為さず、一人、之を信ずるも少なしと為さず」と謂うは、斯れ固より君子の「是とせられずして悶ゆる無し」の心なり。豈に世の謭謭屑屑たる者の知りて以て之に及ぶに足らんや。乃ち僕の情は、則ち大いに已むを得ざる者、其の間に存する有り。而して以て人の信ずると信ぜざるとを計るに非ざるなり。夫れ人なる者は、天地の心なり。天地万物は本と吾と一体なる者なり。生民の困苦荼毒は、孰か吾が身に切なる疾痛に非ざらんや。吾が身の疾痛を知らざるは、是非の心無き者なり。是非の心は、慮らずして知り、学ばずして能くす。所謂る「良知」なり。良知の人心に在るは、聖愚に間無く、天下古今の同じくする所なり。世の君子、惟だ其の良知を務めば、則ち自ら能く是非を公にし、好悪を同じくし、人を視ること己の猶く、国を視ること家の猶くして、天地万物を以て一体と為さん。天下の治まらざるを求むるも、得べからざらん。古の人の善を見ること己より出づるに啻(ただ)ならざるが若く、悪を見ること己に入るに啻ならざるが若く、民の飢溺を視ること己の飢溺の猶くにして、一夫の獲ざるは、己、推して諸を溝中に納るるが若き者は、故らに是を為して以て天下の己を信ずるを蘄(もと)むるに非ず。務めて其の良知を致して自ら慊るを求むるのみ。堯・舜・三王の聖、言いて民、信ぜざる莫きは、其の良知を致して之を言えばなり。行いて民、説ばざる莫きは、其の良知を致して之を行えばなり。是を以て其の民は熙熙皞皞、之を殺すも怨みず、之を利するも庸(こう)とせず、蛮貊に施し及ぼして、凡そ血気有る者は尊親せざる莫し。其の良知の同じきが為なり。嗚呼、聖人の天下を治むる、何ぞ其れ簡にして且つ易きや。
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伝習録・答聶文蔚僕は誠に天の霊に頼り、偶々良知の学に見る有り。以為えらく、必ず此に由りて、而る後に天下は得て治むべしと。是を以て斯の民の陥溺を念う毎に、則ち之が為に戚然として心を痛め、其の身の不肖を忘れて、此を以て之を救わんことを思う。亦た自ら其の量を知らざる者なり。天下の人、其の是くの若きを見て、遂に相い与に之を非笑して詆斥し、以て是れ病狂喪心の人なりと為すのみ。嗚呼、是れ奚ぞ恤(うれ)うるに足らんや。吾は方に疾痛の体に切なり。而るに人の非笑を計るに暇あらんや。人、固より其の父子兄弟の深淵に墜溺するを見る者有らば、呼号匍匐し、裸跣顛頓して、懸崖壁を扳(よ)じて下りて之を拯(すく)わん。士の見る者は、方に相い与に其の傍らに揖譲談笑して、以て是れ其の礼貌衣冠を棄てて呼号顛頓すること此くの若きは、是れ病狂喪心の者なりと為さん。故に夫れ溺るる人の傍らに揖譲談笑して救うを知らざるは、此れ惟だ行路の人、親戚骨肉の情無き者のみ之を能くす。然れども已に之を惻隠の心無く、人に非ずと謂うなり。若し夫れ父子兄弟の愛に在る者は、則ち固より未だ心を痛め首を疾ましめ、狂奔し気を尽くし、匍匐して之を拯わざる有らず。彼は将に陥溺の禍を顧みざる有らんとす。而るを況んや病狂喪心の譏りに於てをや。又た況んや人の信ずると信ぜざるとを蘄むるに於てをや。嗚呼、今の人、僕を病狂喪心の人と謂うと雖も、亦た不可なる無きなり。天下の人心は、皆な吾が心なり。天下の人に猶お病狂なる者有り。吾、安くんぞ得て病狂に非ざらんや。猶お喪心なる者有り。吾、安くんぞ得て喪心に非ざらんや。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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伝習録・答羅整菴少宰書某、頓首して啓す。昨に教えの『大学』に及ぶを承く。舟を発すること匆匆にして、未だ奉答する能わず。暁来、江行、稍(やや)暇あり。復た手教を取りて之を読む。恐らくは贛に至るの後、人事、復た紛沓せん。先ず其の略を具えて以て請う。来教に云う、「道を見るは固より難く、而して道を体するは尤も難し。道は誠に明らかにし易からず。而して学は誠に講ぜざるべからず。恐らくは未だ見る所に安んじて遂に以て極則と為すべからざらん」と。幸甚、幸甚。何を以てか斯の言を聞くを得んや。其れ敢えて自ら以て極則と為して之に安んぜんや。正に天下の道に就きて以て之を講明せんことを思うのみ。而して数年以来、其の説を聞きて之を非笑する者有り。之を詬訾する者有り。之を置きて較量辨議するに足らずとする者有り。其れ肯えて遂に以て我に教えんや。其れ肯えて遂に以て我に教え、而して反覆暁諭し、惻然として惟だ救正するに及ばざるを恐れんや。然らば則ち天下の我を愛する者、固より執事の心の深く且つ至れるに如く有る莫し。感激、当に何如なるべきや。夫れ「徳の修まらざる、学の講ぜざる」は、孔子、以て憂いと為す。而して世の学者は稍(やや)能く訓詁を伝習すれば、即ち皆な自ら以て学を知ると為し、復た所謂る講学の求め有らず。悲しむべきかな。夫れ道は必ず体して而る後に見る。已に道を見て而る後に道を体するの功を加うるに非ざるなり。道は必ず学びて而る後に明らかなり。講学を外にして復た所謂る道を明らかにするの事有るに非ざるなり。然れども世の講学する者に二有り。之を身心に講ずる者有り。之を口耳に講ずる者有り。之を口耳に講ずるは、揣摸測度して、之を影響に求むる者なり。之を身心に講ずるは、行いて著し習いて察し、実に諸を己に有する者なり。此を知らば、則ち孔門の学を知らん。
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