伝習録 / 答陸原静書 又
來書云:「嘗試於心,喜、怒、憂、懼之感發也,雖動氣之極,而吾心良知一覺,即罔然消阻,或遏於初,或制於中,或悔於後。然則良知常若居優閒無事之地而為之主,於喜、怒、憂、懼若不與焉者,何歟?」知此,則知未發之中、寂然不動之體,而有發而中節之和、感而遂通之妙矣。然謂「良知常若居於優閒無事之地」,語尚有病。蓋良知雖不滯於喜、怒、憂、懼,而喜、怒、憂、懼亦不外於良知也。
新字:来書云:「嘗試於心,喜、怒、憂、懼之感発也,雖動気之極,而吾心良知一覚,即罔然消阻,或遏於初,或制於中,或悔於後。然則良知常若居優閒無事之地而為之主,於喜、怒、憂、懼若不与焉者,何歟?」知此,則知未発之中、寂然不動之体,而有発而中節之和、感而遂通之妙矣。然謂「良知常若居於優閒無事之地」,語尚有病。蓋良知雖不滞於喜、怒、憂、懼,而喜、怒、憂、懼亦不外於良知也。
書き下し
来書に云う、「嘗て心に試みるに、喜・怒・憂・懼の感じ発するや、気を動かすの極と雖も、吾が心の良知、一たび覚れば、即ち罔然として消阻し、或いは初めに遏(とど)め、或いは中に制し、或いは後に悔ゆ。然らば則ち良知は常に優閒無事の地に居りて之が主と為り、喜・怒・憂・懼に於て与らざる者の若きは、何ぞや」と。此を知らば、則ち未発の中、寂然不動の体を知りて、発して節に中たるの和、感じて遂に通ずるの妙有らん。然れども「良知は常に優閒無事の地に居るが若し」と謂うは、語に尚お病有り。蓋し良知は喜・怒・憂・懼に滞らずと雖も、而して喜・怒・憂・懼も亦た良知に外ならざるなり。
現代語訳
お手紙にこうあった。「心に試すと、喜・怒・憂・懼の感じが起こる時、気が極度に動いても、心の良知が一たび覚れば、たちまち消えて阻まれ、初めに止めたり、途中で制したり、後で悔いたりします。ならば良知は常にゆったりと事のない場所にいて主となり、喜・怒・憂・懼に与らないもののようですが、なぜでしょう」。これを知れば、未発の中、寂然不動の体を知り、発して節に中たる和、感じて通じる妙がある。しかし「良知が常にゆったりと事のない場所にいるようだ」というのは、言い方に病がある。良知は喜・怒・憂・懼に滞らないが、喜・怒・憂・懼もまた良知の外にはない。
解説
この章句が説くこと
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伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「良知は心の本体、即ち所謂る性善なり、未発の中なり、寂然不動の体なり、廓然大公なり。何ぞ常人は皆な能わずして、必ず学を待つや。中なり、寂なり、公なり、既に以て心の体に属せば、則ち良知は是なり。今、之を心に験するに、知は良ならざる無し。而して中・寂・大公は、実に未だ有らざるなり。豈に良知は復た体・用の外に超然たらんや」と。性は不善無し。故に知は良ならざる無し。良知は即ち是れ未発の中、即ち是れ廓然大公・寂然不動の本体にして、人人の同じく具うる所の者なり。但だ物欲に昏蔽せられざる能わず。故に須らく学びて以て其の昏蔽を去るべし。然れども良知の本体に於ては、初めより毫末に加損する有る能わざるなり。知は良ならざる無くして、中・寂・大公の未だ全き能わざる者は、是れ昏蔽の未だ尽くは去らずして、之を存すること未だ純ならざるのみ。体は既に良知の体、用は即ち良知の用なり。寧ぞ復た「体・用の外に超然たる」者有らんや。
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伝習録・答陸原静書来書に云う、「良知にも亦た起こる処有り」と云云。此れ或いは之を聴くこと未だ審らかならず。良知なる者は、心の本体なり。即ち前に所謂る「恒に照らす」者なり。心の本体は、起こる無く起こらざる無し。妄念の発する有りと雖も、而して良知は未だ嘗て在らざるにあらず。但だ人、存するを知らざれば、則ち時有りて或いは放つのみ。昏塞の極と雖も、而して良知は未だ嘗て明らかならざるにあらず。但だ人、察するを知らざれば、則ち時有りて或いは蔽わるるのみ。時有りて或いは放つと雖も、其の体は実に未だ嘗て在らざるにあらず。之を存するのみ。時有りて或いは蔽わると雖も、其の体は実に未だ嘗て明らかならざるにあらず。之を察するのみ。若し真知にも亦た起こる処有りと謂わば、則ち是れ時有りて在らざるなり。其の本体の謂いに非ず。
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伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「夫子、昨に良知を以て照心と為す。竊かに謂う、良知は心の本体なり。照心は人の功を用うる所、乃ち戒慎恐懼の心なり。猶お思うがごときなり。而して遂に戒慎恐懼を以て良知と為すは、何ぞや」と。能く戒慎恐懼する者は、是れ良知なり。
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伝習録・黄省曾録問う、「知は日に譬え、欲は雲に譬う。雲は能く日を蔽うと雖も、亦た是れ天の一気の合に有るべき的なり。欲も亦た人心に非ざる莫し。合に有るべきや否や」と。先生曰く、「喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲、之を七情と謂う。七者は倶に是れ人心の合に有るべき的なり。但だ良知を認め得て明白なるを要す。比如(たと)えば日光は、亦た方所を指著すべからず。一隙も通明ならば、皆な是れ日光の在る所なり。雲霧、四塞すと雖も、太虚中の色象、辨ずべきは、亦た是れ日光の滅せざる処なり。雲の能く日を蔽うを以て、天をして雲を生ずるを要せざらしむべからず。七情は其の自然の流行に順わば、皆な是れ良知の用なり。善悪を分別すべからず。但だ著する所有るべからず。七情に著する有らば、倶に之を欲と謂う。倶に良知の蔽と為る。然れども纔(わず)かに著する有る時、良知も亦た自ら覚るを会(よ)くす。覚らば即ち蔽は去り、其の体に復す。此の処、能く勘得して破らば、方に是れ簡易透徹の功夫なり」と。
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伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「『大学』は『心に好楽・忿懥・憂患・恐懼有る』を以て『其の正しきを得ず』と為す。而して程子も亦た『聖人の情は万事に順いて情無し』と謂う。所謂る有りとは、『伝習録』中に病瘧を以て之に譬う。極めて精切なり。程子の言の若きは、則ち是れ聖人の情は心に生ぜずして物に生ずるなり。何の謂いぞや。且つ事、感じて情、応ずれば、則ち是を是とし非を非とすること以て格すに就くべし。事、或いは未だ感ぜざる時、之を有りと謂わば則ち未だ形れず。之を無しと謂わば則ち病根は有無の間に在り。何を以て吾が知を致さんや。学びて情無きを務むれば、累は軽しと雖も、儒を出でて仏に入らん。可ならんや」と。聖人の致知の功は、至誠にして息む無し。其の良知の体は、皦(あき)らかなること明鏡の如く、略ぼ纖翳無し。妍媸の来たるや、物に随いて形を見(あら)わす。而して明鏡は曾て留染無し。所謂る「万事に順いて情無し」なり。「住する所無くして其の心を生ず」。仏氏、曾て是の言有り。未だ非と為さざるなり。明鏡の物に応ずるや、妍なる者は妍、媸なる者は媸、一たび照らして皆な真なり。即ち是れ其の心を生ずる処なり。妍なる者は妍、媸なる者は媸、一たび過ぎて留めず。即ち是れ住する所無き処なり。病瘧の喩え、既に已に其の精切なるを見れば、則ち此の節の問う所は釈然たるべし。病瘧の人は、瘧は未だ発せずと雖も、病根は自ら在り。則ち亦た安くんぞ其の瘧の未だ発せざるを以て遂に其の薬を服し理を調うるの功を忘るべけんや。若し必ず瘧の発するを待ちて而る後に薬を服し理を調えば、則ち既に晩し。致知の功は、事有ると事無きとに間無し。豈に病の已発・未発を論ぜんや。大抵、原静の疑う所は、前後、一ならざるが若しと雖も、然れども皆な自私自利、将迎意必の祟りを為すより起こる。此の根、一たび去らば、則ち前後の疑う所は、自ら将に氷消し霧釈けて、問辨を待たざる有らんとす。銭徳洪の跋に曰く、原静に答うるの書、出づるや、読者は皆な澄の善く問い、師の善く答えて、皆な未だ聞かざる所を聞くを得たるを喜ぶ。師曰く、「原静の問う所は只だ是れ知解の上に転ずるのみ。已むを得ずして之と節を逐いて分疏す。若し良知を信じ得ば、只だ良知の上に工を用う。千経万典と雖も脗合せざる無く、異端曲学も一たび勘して尽く破れん。何ぞ必ずしも此くの如く節節に分解せんや。仏家に『塊を撲つ人を逐う』の喩え有り。塊を見て人を撲たば、則ち人を得たり。塊を見て塊を逐わば、塊に於て奚(なに)をか得んや」と。座に在る諸友、之を聞き、惕然として皆な惺悟する有り。此の学は反りて求むるを貴ぶ。知解の入るべきに非ざるなり。
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伝習録・答欧陽崇一来書に云う、「師云う、『「繋辞」に「何をか思い何をか慮らん」と言うは、是れ思う所、慮る所は只だ是れ天理にして、更に別の思い、別の慮り無きを言うのみ。思い無く慮り無きを謂うに非ず。心の本体は即ち是れ天理なり。何の思慮すべき有らんや。学者の功を用うるは、千思万慮すと雖も、只だ是れ他の本体に復せんことを要するのみ。私意を以て去きて安排思索し出だすに非ず。若し安排思索せば、便ち是れ自ら私して智を用うるなり』と。学者の蔽は、大率、空に沈み寂を守るに非ずんば、則ち安排思索なり。徳は辛壬の歳、前の一病を著(つ)け、近ごろ又た後の一病を著く。但だ思索も亦た是れ良知の発用ならば、其の私意もて安排する者と何の取りて別つ所ぞ。恐らくは賊を認めて子と作し、惑いて知らざらん」と。「思うは睿と曰う。睿は聖を作す」。「心の官は則ち思う。思えば則ち之を得」。思うは其れ少なかるべけんや。空に沈み寂を守ると安排思索とは、正に是れ自ら私して智を用う。其の良知を喪失すと為すは一なり。良知は是れ天理の昭明霊覚の処なり。故に良知は即ち是れ天理なり。思うは是れ良知の発用なり。若し是れ良知の発用の思ならば、則ち思う所は天理に非ざる莫し。良知の発用の思は、自然に明白簡易なり。良知も亦た自ら能く知り得たり。若し是れ私意もて安排するの思ならば、自ら是れ紛紜労擾たり。良知も亦た自ら分別し得るを会(よ)くす。蓋し思の是非邪正は、良知の自ら知らざる者有る無し。所以に賊を認めて子と作すは、正に致知の学の明らかならずして、良知の上に之を体認するを知らざるが為のみ。
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