伝習録 / 答陸原静書
來書云:「元神、元氣、元精必各有寄藏發生之處;又有真陰之精,真陽之氣。」云云。夫良知,一也。以其妙用而言,謂之神;以其流行而言,謂之氣;以其凝聚而言,謂之精;安可以形象方所求哉?真陰之精,即真陽之氣之母,真陽之氣,即真陰之精之父;陰根陽,陽根陰,亦非有二也。苟吾良知之說明,即凡若此類,皆可以不言而喻;不然,則如來書所云「三關」、「七返」、「九還」之屬,尚有無窮可疑者也。
新字:来書云:「元神、元気、元精必各有寄蔵発生之処;又有真陰之精,真陽之気。」云云。夫良知,一也。以其妙用而言,謂之神;以其流行而言,謂之気;以其凝聚而言,謂之精;安可以形象方所求哉?真陰之精,即真陽之気之母,真陽之気,即真陰之精之父;陰根陽,陽根陰,亦非有二也。苟吾良知之説明,即凡若此類,皆可以不言而喩;不然,則如来書所云「三関」、「七返」、「九還」之属,尚有無窮可疑者也。
書き下し
来書に云う、「元神・元気・元精は必ず各々寄蔵発生の処有り。又た真陰の精、真陽の気有り」と云云。夫れ良知は、一なり。其の妙用を以て言えば、之を神と謂う。其の流行を以て言えば、之を気と謂う。其の凝聚を以て言えば、之を精と謂う。安くんぞ形象方所を以て求むべけんや。真陰の精は、即ち真陽の気の母なり。真陽の気は、即ち真陰の精の父なり。陰は陽に根ざし、陽は陰に根ざす。亦た二有るに非ざるなり。苟も吾が良知の説、明らかならば、即ち凡そ此くの若きの類は、皆な以て言わずして喩すべし。然らずんば、則ち来書に云う所の「三関」「七返」「九還」の属の如き、尚お無窮の疑うべき者有らん。
現代語訳
お手紙にこうあった。「元神・元気・元精は、それぞれ蔵し発する場所があるはずです。また真陰の精、真陽の気があります」と。良知は一つだ。その妙なる働きから言えば神といい、その流れから言えば気といい、その凝り固まりから言えば精という。どうして形や場所として求められよう。真陰の精は真陽の気の母であり、真陽の気は真陰の精の父だ。陰は陽に根ざし、陽は陰に根ざす。二つあるのではない。もし私の良知の説が明らかなら、こうした類はみな言わずして分かる。そうでなければ、手紙にある「三関」「七返」「九還」の類が、なお無限に疑わしいままだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
伝習録・答陸原静書来書に云う、「前日の精一の論は、即ち聖を作すの功なりや否や」と。「精一」の「精」は理を以て言う。「精神」の「精」は気を以て言う。理なる者は、気の条理なり。気なる者は、理の運用なり。条理無くんば則ち運用する能わず。運用無くんば則ち亦た以て其の所謂る条理なる者を見る無し。精なれば則ち精、精なれば則ち明、精なれば則ち一、精なれば則ち神、精なれば則ち誠なり。一なれば則ち精、一なれば則ち明、一なれば則ち神、一なれば則ち誠なり。原と二事有るに非ざるなり。但だ後世の儒者の説と養生の説と、各々一偏に滞る。是を以て相い用を為さず。前日の「精一」の論は、原静の精神を愛養するが為に発すと雖も、然り而して聖を作すの功も、実に亦た是に外ならざるなり。
-
伝習録・陸澄録仙家の元気・元神・元精を問う。先生曰く、「只だ是れ一件なり。流行すれば気と為り、凝聚すれば精と為り、妙用すれば神と為る」と。
-
伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「此の心の未発の体は、其れ已発の前に在るか。其れ已発の中に在りて之が主と為るか。其れ前後・内外無くして渾然たるの体なる者か。今、心の動・静を謂う者は、其れ事有ると事無きとを主として言うか。其れ寂然・感通を主として言うか。其れ理に循うと欲に従うとを主として言うか。若し理に循うを静と為し、欲に従うを動と為さば、則ち所謂る『動中に静有り、静中に動有り、動極まりて静、静極まりて動』なる者に於て、通ずべからず。若し事有りて感通するを動と為し、事無くして寂然たるを静と為さば、則ち所謂る『動きて動く無く、静にして静なる無し』なる者に於て、通ずべからず。若し未発は已発の先に在り、静にして動を生ずと謂わば、是れ至誠に息(や)む有るなり、聖人に復する有るなり。又た可ならず。若し未発は已発の中に在りと謂わば、則ち未発・已発は倶に当に静を主とすべきか。抑も未発を静と為し已発を動と為すか。抑も未発・已発は倶に動無く静無きか。倶に動有り静有るか。幸いに教えよ」と。未発の中は、即ち良知なり。前後内外無くして、渾然一体なる者なり。事有ると事無きとは以て動・静を言うべし。而して良知は事有ると事無きとに分かつ無きなり。寂然・感通は以て動・静を言うべし。而して良知は寂然・感通に分かつ無きなり。動・静なる者は、遇う所の時なり。心の本体は、固より動・静に分かつ無きなり。理は動く者無きなり。動けば即ち欲と為る。理に循えば則ち万変に酬酢すと雖も未だ嘗て動かざるなり。欲に従えば則ち心を槁らして一念なりと雖も未だ嘗て静ならざるなり。「動中に静有り、静中に動有り」、又た何ぞ疑わんや。事有りて感通するは、固より以て動と言うべし。然れども寂然たる者は未だ嘗て増す有らざるなり。事無くして寂然たるは、固より以て静と言うべし。然れども感通する者は未だ嘗て減ずる有らざるなり。「動きて動く無く、静にして静なる無し」、又た何ぞ疑わんや。前後内外無くして渾然一体ならば、則ち至誠に息む有るの疑いは、解を待たざるなり。未発は已発の中に在りて、已発の中に未だ嘗て別に未発なる者の在る有らず。已発は未発の中に在りて、未発の中に未だ嘗て別に已発なる者の存する有らず。是れ未だ嘗て動・静無きにあらずして、動・静を以て分かつべからざる者なり。凡そ古人の言語を観るは、意を以て志を逆えて其の大旨を得るに在り。若し必ず文義に拘滞せば、則ち「孑遺有る靡(な)し」なる者は、是れ周に果たして遺民無きなり。周子の「静極まりて動く」の説も、苟も善く観ずんば、亦た病有るを免れず。蓋し其の意は「太極、動きて陽を生じ、静にして陰を生ず」より説き来たる。太極の生生の理は、妙用息まずして、常体は易わらず。太極の生生は、即ち陰陽の生生なり。其の生生の中に就きて、其の妙用息まざる者を指して之を動と謂い、之を陽の生と謂う。動きて徒らに陽を生ずと謂うに非ざるなり。其の生生の中に就きて、其の常体の易わらざる者を指して之を静と謂い、之を陰の生と謂う。静にして而る後に陰を生ずと謂うに非ざるなり。若し果たして静にして而る後に陰を生じ、動きて而る後に陽を生ぜば、則ち是れ陰陽・動静は、截然として各々自ら一物と為るなり。陰陽は一気なり。一気、屈伸して陰陽と為る。動静は一理なり。一理、隠顕して動・静と為る。春夏は以て陽と為し動と為すべし。而して未だ嘗て陰と静と無きにあらず。秋冬は以て陰と為し静と為すべし。而して未だ嘗て陽と動と無きにあらず。春夏、此れ息まず、秋冬、此れ息まず、皆な之を陽と謂い、動と謂うべし。春夏、此れ常体、秋冬、此れ常体、皆な之を陰と謂い、静と謂うべし。元・会・運・世・歳・月・日・時より、以て刻・杪・忽・微に至るまで、皆な然らざる莫し。所謂る動静に端無く、陰陽に始め無しとは、道を知る者の黙して之を識るに在り。言語を以て窮むべきに非ざるなり。若し只だ文に牽かれ句に泥み、比擬仿像せば、則ち所謂る心は『法華』に転ぜられ、是れ『法華』を転ずるに非ざるなり。
-
伝習録・答陸原静書来書に云う、「良知にも亦た起こる処有り」と云云。此れ或いは之を聴くこと未だ審らかならず。良知なる者は、心の本体なり。即ち前に所謂る「恒に照らす」者なり。心の本体は、起こる無く起こらざる無し。妄念の発する有りと雖も、而して良知は未だ嘗て在らざるにあらず。但だ人、存するを知らざれば、則ち時有りて或いは放つのみ。昏塞の極と雖も、而して良知は未だ嘗て明らかならざるにあらず。但だ人、察するを知らざれば、則ち時有りて或いは蔽わるるのみ。時有りて或いは放つと雖も、其の体は実に未だ嘗て在らざるにあらず。之を存するのみ。時有りて或いは蔽わると雖も、其の体は実に未だ嘗て明らかならざるにあらず。之を察するのみ。若し真知にも亦た起こる処有りと謂わば、則ち是れ時有りて在らざるなり。其の本体の謂いに非ず。
-
伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「良知は心の本体、即ち所謂る性善なり、未発の中なり、寂然不動の体なり、廓然大公なり。何ぞ常人は皆な能わずして、必ず学を待つや。中なり、寂なり、公なり、既に以て心の体に属せば、則ち良知は是なり。今、之を心に験するに、知は良ならざる無し。而して中・寂・大公は、実に未だ有らざるなり。豈に良知は復た体・用の外に超然たらんや」と。性は不善無し。故に知は良ならざる無し。良知は即ち是れ未発の中、即ち是れ廓然大公・寂然不動の本体にして、人人の同じく具うる所の者なり。但だ物欲に昏蔽せられざる能わず。故に須らく学びて以て其の昏蔽を去るべし。然れども良知の本体に於ては、初めより毫末に加損する有る能わざるなり。知は良ならざる無くして、中・寂・大公の未だ全き能わざる者は、是れ昏蔽の未だ尽くは去らずして、之を存すること未だ純ならざるのみ。体は既に良知の体、用は即ち良知の用なり。寧ぞ復た「体・用の外に超然たる」者有らんや。
-
伝習録・答陸原静書 又来書に云う、「嘗て心に試みるに、喜・怒・憂・懼の感じ発するや、気を動かすの極と雖も、吾が心の良知、一たび覚れば、即ち罔然として消阻し、或いは初めに遏(とど)め、或いは中に制し、或いは後に悔ゆ。然らば則ち良知は常に優閒無事の地に居りて之が主と為り、喜・怒・憂・懼に於て与らざる者の若きは、何ぞや」と。此を知らば、則ち未発の中、寂然不動の体を知りて、発して節に中たるの和、感じて遂に通ずるの妙有らん。然れども「良知は常に優閒無事の地に居るが若し」と謂うは、語に尚お病有り。蓋し良知は喜・怒・憂・懼に滞らずと雖も、而して喜・怒・憂・懼も亦た良知に外ならざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る