伝習録 / 薛侃録
劉觀時問:「『未發之中』是如何?」先生曰:「汝但戒慎不睹,恐懼不聞,養得此心純是天理,便自然見。」觀時請略示氣象。先生曰:「啞子喫苦瓜,與你說不得。你要知此苦,還須你自喫。」時曰仁在傍,曰:「如此才是真知即是行矣。」一時在座諸友皆有省。
新字:劉観時問:「『未発之中』是如何?」先生曰:「汝但戒慎不睹,恐懼不聞,養得此心純是天理,便自然見。」観時請略示気象。先生曰:「唖子喫苦瓜,与你説不得。你要知此苦,還須你自喫。」時曰仁在傍,曰:「如此才是真知即是行矣。」一時在座諸友皆有省。
書き下し
劉観時問う、「『未発の中』は是れ如何」と。先生曰く、「汝は但だ睹ざるに戒慎し、聞かざるに恐懼し、此の心を養い得て純ら是れ天理ならば、便ち自然に見ん」と。観時、略ぼ気象を示さんことを請う。先生曰く、「唖子の苦瓜を喫らうは、你(なんじ)と説き得ず。你、此の苦を知らんと要せば、還(な)お須らく你自ら喫らうべし」と。時に曰仁、傍らに在り。曰く、「此くの如きは才めて是れ真知は即ち是れ行なり」と。一時、在座の諸友、皆な省有り。
現代語訳
劉観時が尋ねた。「『未発の中』とは何ですか」。先生は言った。「あなたはただ、見ないところで戒め慎み、聞かないところで恐れおののき、この心を養って純粋な天理にすれば、自然に見える」。観時が、その気配を少しでも示してほしいと請うた。先生は言った。「唖者が苦瓜を食べるようなものだ。あなたに説明できない。この苦さを知りたければ、あなた自身が食べるしかない」。徐愛が傍らにいて言った。「これこそ、真の知はすなわち行だということです」。その場にいた友人たちは、みな悟るところがあった。
解説
私たちは、時に抽象的な概念や深い真理について、言葉による説明を求めがちです。しかし、本当に大切なことは、頭で理解するだけでなく、自らの体験を通して初めて深く納得できるものです。苦瓜の味を言葉で説明されても、実際に食べてみなければその苦さは分かりません。同様に、心のあり方や人生の真理も、日々の行動や経験の中で自ら実践し、感じ取ることでしか、真に「知る」ことはできません。知と行いは一体であり、体験こそが学びの源泉なのです。
この章句が説くこと
唖子喫苦瓜与你説不得你要知此苦還須你自喫実践
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