伝習録 / 薛侃録
惟乾問:「知如何是心之本體?」先生曰:「知是理之靈處。就其主宰處說,便謂之心;就其稟賦處說,便謂之性。孩提之童,無不知愛其親,無不知敬其兄,只是這個靈能不為私欲遮隔,充拓得盡,便完;完是他本體,便與天地合德。自聖人以下,不能無蔽,故須『格物』以致其知。」
新字:惟乾問:「知如何是心之本体?」先生曰:「知是理之靈処。就其主宰処説,便謂之心;就其稟賦処説,便謂之性。孩提之童,無不知愛其親,無不知敬其兄,只是這個靈能不為私欲遮隔,充拓得尽,便完;完是他本体,便与天地合徳。自聖人以下,不能無蔽,故須『格物』以致其知。」
書き下し
惟乾問う、「知は如何ぞ是れ心の本体なるか」と。先生曰く、「知は是れ理の霊なる処なり。其の主宰の処に就きて説けば、便ち之を心と謂う。其の稟賦の処に就きて説けば、便ち之を性と謂う。孩提の童も、其の親を愛するを知らざる無く、其の兄を敬するを知らざる無し。只だ是れ這個の霊、能く私欲の遮隔を為さずして、充拓し得て尽くれば、便ち完し。完きは是れ他の本体なり。便ち天地と徳を合す。聖人より以下、蔽い無き能わず。故に須らく『格物』して以て其の知を致すべし」と。
現代語訳
惟乾が尋ねた。「知はなぜ心の本体なのですか」。先生は言った。「知は理の霊妙なところだ。その主宰する所から言えば心といい、その賦与された所から言えば性という。よちよち歩きの子どもも、親を愛することを知らない者はなく、兄を敬うことを知らない者はない。ただこの霊妙さが、私欲に遮られず、広げ尽くされれば、完全になる。完全であるのが、その本体だ。それで天地と徳を合わせる。聖人以下は、覆いがないわけにいかない。だから『格物』によって知を致すのだ」。
解説
よちよち歩きの子どもも、親を愛することを知っている。学んだのではありません。もともと備わっている。「この霊妙さが、私欲に遮られず、広げ尽くされれば、完全になる」。加えるのではなく、遮りを取り除くのです。
この章句が説くこと
知是理之霊処孩提之童無不知愛其親無不知敬其兄