伝習録 / 薛侃録
黃誠甫問「汝與回也孰愈」章。先生曰:「子貢多學而識,在聞見上用功;顏子在心地上用功:故聖人問以啟之。而子貢所對又只在知見上,故聖人嘆惜之,非許之也。」
新字:黄誠甫問「汝与回也孰愈」章。先生曰:「子貢多学而識,在聞見上用功;顔子在心地上用功:故聖人問以啓之。而子貢所対又只在知見上,故聖人嘆惜之,非許之也。」
書き下し
黄誠甫、「汝と回と孰れか愈れる」の章を問う。先生曰く、「子貢は多く学びて識る。聞見の上に功を用う。顔子は心地の上に功を用う。故に聖人は問いて以て之を啓く。而して子貢の対うる所は又た只だ知見の上に在り。故に聖人は之を嘆惜す。之を許すに非ざるなり」と。
現代語訳
黄誠甫が「お前と顔回と、どちらが優れているか」の章について尋ねた。先生は言った。「子貢は多く学んで記憶する。見聞の上で努力する。顔回は心の地で努力する。だから聖人は問いかけて啓こうとした。ところが子貢の答えは、やはり知識と見識の上にあった。だから聖人は嘆き惜しんだ。認めたのではない」。
解説
知識の量や記憶力に優れていた子貢と、心のあり方を深く探求した顔回。孔子が子貢に「どちらが優れているか」と問いかけたのは、単なる知識の比較ではなく、子貢自身の学びの姿勢を問い直し、より本質的な心の探求へと導こうとしたのです。しかし、子貢の答えは依然として知識や見聞の範囲に留まっていました。私たちは、情報や知識をたくさん集めるだけでなく、その背後にある意味や、それが自分自身の生き方や心の状態にどう影響するかを深く考えることが大切です。表面的な理解に留まらず、物事の本質を捉えようと努めることで、より豊かな洞察や成長が得られるでしょう。
この章句が説くこと
子貢多学而識在聞見上用功顔子在心地上用功謙虚
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