伝習録 / 薛侃録
問「子夏門人問交」章。先生曰:「子夏是言小子之交,子張是言成人之交。若善用之,亦俱是。」
新字:問「子夏門人問交」章。先生曰:「子夏是言小子之交,子張是言成人之交。若善用之,亦倶是。」
書き下し
「子夏の門人、交を問う」の章を問う。先生曰く、「子夏は是れ小子の交を言い、子張は是れ成人の交を言う。若し善く之を用いば、亦た俱に是なり」と。
現代語訳
「子夏の門人が交際について問う」の章について尋ねた。先生は言った。「子夏は年少者の交際を言い、子張は成人の交際を言った。うまく用いれば、どちらも正しい」。
解説
人間関係や仕事の進め方において、異なる意見やアプローチに直面した時、どちらが正しいかと優劣をつけがちです。しかし、この一節は、子夏と子張の異なる交際の教えについて、「うまく用いれば、どちらも正しい」と説きます。大切なのは、教えそのものの絶対的な正しさではなく、それがどのような状況や相手に最も適しているかを見極めること。一つの正解に固執せず、柔軟な視点を持つことで、多様な状況に対応できる知恵が生まれると教えてくれます。
この章句が説くこと
子夏是言小子之交子張是言成人之交若善用之亦俱是若善用之亦倶是教育
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