伝習録 / 薛侃録
侃多悔。先生曰:「悔悟是去病之藥,然以改之為貴。若留滯於中,則又因藥發病。」
新字:侃多悔。先生曰:「悔悟是去病之薬,然以改之為貴。若留滞於中,則又因薬発病。」
書き下し
侃、悔ゆること多し。先生曰く、「悔悟は是れ病を去るの薬なり。然れども之を改むるを以て貴しと為す。若し中に留滞せば、則ち又た薬に因りて病を発す」と。
現代語訳
薛侃は、後悔することが多かった。先生は言った。「悔い悟ることは、病を除く薬だ。しかし改めることを貴ぶ。もし心に留め置けば、薬によって病を発することになる」。
解説
後悔は、自分の過ちや改善点に気づかせてくれる大切な機会です。しかし、いつまでも後悔の念に囚われて、行動に移せないことはありませんか。この一節は、悔い悟ることは「病を除く薬」であるとしながらも、本当に大切なのは、その気づきを活かして「改めること」だと強調します。後悔し続けることは、時に変化を避ける言い訳になりかねません。悔い改めたなら、そこで終わり。新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる言葉です。
この章句が説くこと
悔悟是去病之薬然以改之為貴若留滞於中則又因薬発病過ちを改める潔さ
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