伝習録 / 薛侃録
或問為學以親故,不免業舉之累。先生曰:「以親之故而業舉,為累於學,則治田以養其親者,亦有累於學乎?先正云:『惟患奪志。』但恐為學之志不真切耳。」
新字:或問為学以親故,不免業舉之累。先生曰:「以親之故而業舉,為累於学,則治田以養其親者,亦有累於学乎?先正云:『惟患奪志。』但恐為学之志不真切耳。」
書き下し
或るひと、学を為すに親の故を以て、業挙の累を免れずと問う。先生曰く、「親の故を以て業挙するを、学に累すと為さば、則ち田を治めて以て其の親を養う者も、亦た学に累する有らんや。先正云う、『惟だ志を奪わるるを患う』と。但だ恐る、学を為すの志の真切ならざるを」と。
現代語訳
ある人が、親のために学問するが、科挙の勉強に煩わされることを避けられないと尋ねた。先生は言った。「親のために科挙の勉強をすることが学問の妨げになるなら、田を耕して親を養う者も、学問の妨げになるのか。昔の賢人は『ただ志が奪われることを憂える』と言った。ただ、学問の志が真剣で切実でないことを恐れるだけだ」。
解説
親のため、あるいは生活のために頑張ることが、自分の本当にやりたいことの妨げになっていると感じることはありませんか。しかし、この一節は、環境や状況のせいにしているだけではないかと問いかけます。大切なのは、何のためにそれをするのかという「志」が、どれだけ真剣で切実かということ。もしその志が本物なら、どんな状況も学びの妨げにはならないはずです。目の前のことに真摯に向き合うことで、かえって深い学びが得られると教えてくれます。
この章句が説くこと
惟患奪志但恐為学之志不真切耳
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