伝習録 / 薛侃録
侃問:「持志如心痛。一心在痛上,安有工夫說閑語、管閑事?」先生曰:「初學工夫,如此用亦好;但要使知『出入無時,莫知其鄉』。心之神明,原是如此,工夫方有著落。若只死死守著,恐於工夫上又發病。」
新字:侃問:「持志如心痛。一心在痛上,安有工夫説閑語、管閑事?」先生曰:「初学工夫,如此用亦好;但要使知『出入無時,莫知其郷』。心之神明,原是如此,工夫方有著落。若只死死守著,恐於工夫上又発病。」
書き下し
侃問う、「志を持すること心痛の如し。一心、痛の上に在らば、安くんぞ工夫の閑語を説き閑事を管する有らんや」と。先生曰く、「初学の工夫、此くの如く用うるも亦た好し。但だ『出入時無く、其の郷を知る莫し』を知らしめんことを要す。心の神明は、原と是れ此くの如し。工夫は方に著落有り。若し只だ死死として守著せば、恐らくは工夫の上に又た病を発せん」と。
現代語訳
薛侃が尋ねた。「志を保つことは、心の痛みのようなものです。心が痛みに集中していれば、無駄口をきいたり余計な事に関わったりする暇があるでしょうか」。先生は言った。「初学の工夫としては、そう用いてもよい。ただ『出入りに定まった時なく、その居場所も分からない』ことを知らせたい。心の霊妙な働きは、もともとそうなのだ。それでこそ工夫に落ち着きどころがある。もしただ死に物狂いで守り続ければ、工夫の上でまた病を発するだろう」。
解説
目標に向かって一心不乱に取り組むことは大切です。しかし、この一節は、あまりにも力みすぎたり、頑なになりすぎたりすることへの警鐘を鳴らします。まるで心の痛みのように一つのことに集中しすぎるのは、一時的には良いかもしれませんが、それが続くと、かえって心に負担をかけ、新しい問題を生む可能性があります。時には柔軟に、時には力を抜くことも必要です。持続可能な努力のためには、適度なゆとりと心の余裕が不可欠だということを教えてくれます。
この章句が説くこと
持志如心痛若只死死守著恐於工夫上又発病無心平常心
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