伝習録 / 陸澄録
「只說『明明德』而不說『親民』,便似老、佛。」
新字:「只説『明明徳』而不説『親民』,便似老、仏。」
書き下し
「只だ『明徳を明らかにす』と説きて『民に親しむ』と説かずんば、便ち老・仏に似たり」。
現代語訳
「ただ『明徳を明らかにする』とだけ言って『民に親しむ』と言わなければ、老荘や仏教に似てしまう」。
解説
自分の内なる徳を磨くことだけを追求し、社会や他者との関わりを軽視するならば、それは老荘思想や仏教の教えと変わらないと、この一節は厳しく指摘しています。陽明学の真髄は、内面の修養だけでなく、必ず「民に親しむ」、つまり他者との積極的な関わりを通して、その徳を社会に実践することにあります。自己完結に終わらず、常に外の世界へと目を向け、行動することこそが、真の学びと成長へとつながるのです。
この章句が説くこと
只説明明徳而不説親民便似老仏
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