伝習録 / 陸澄録
先生曰:「今為吾所謂『格物』之學者,尚多流於口耳。況為口耳之學者,能反於此乎?天理、人欲,其精微必時時用力省察克治,方日漸有見。如今一說話之間,雖只講天理,不知心中倏忽之間,已有多少私欲。蓋有竊發而不知者,雖用力察之,尚不易見,況徒口講而可得盡知乎?今只管講天理來頓放著不循,講人欲來頓放著不去,豈『格物』、『致知』之學?後世之學,其極至,只做得個『義襲而取』的工夫。」
新字:先生曰:「今為吾所謂『格物』之學者,尚多流於口耳。況為口耳之學者,能反於此乎?天理、人欲,其精微必時時用力省察克治,方日漸有見。如今一説話之間,雖只講天理,不知心中倏忽之間,已有多少私欲。蓋有竊発而不知者,雖用力察之,尚不易見,況徒口講而可得尽知乎?今只管講天理来頓放著不循,講人欲来頓放著不去,豈『格物』、『致知』之學?後世之學,其極至,只做得個『義襲而取』的工夫。」
書き下し
先生曰く、「今、吾が所謂る『格物』の学を為す者も、尚お多く口耳に流る。況んや口耳の学を為す者、能く此に反らんや。天理・人欲、其の精微は必ず時時に力を用いて省察克治して、方に日々に漸く見る有り。如今、一たび説話するの間、只だ天理を講ずと雖も、知らず、心中の倏忽(しゅっこつ)の間、已に多少の私欲有るを。蓋し竊かに発して知らざる者有り。力を用いて之を察すと雖も、尚お見易からず。況んや徒らに口講して尽く知るを得べけんや。今、只管、天理を講じ来たりて頓(と)め放著(お)きて循わず、人欲を講じ来たりて頓め放著きて去らず。豈に『格物』『致知』の学ならんや。後世の学は、其の極至も、只だ個の『義襲して取る』の工夫を做し得たるのみ」と。
現代語訳
先生は言った。「今、私のいう『格物』の学を修める者も、多くが口と耳に流れている。まして口耳の学を修める者が、これに立ち返れようか。天理と人欲の精微さは、必ず常に力を尽くして省察し克ち治めて、初めて日々に少しずつ見えてくる。今、一言話す間にも、心の中に一瞬のうちに、どれほどの私欲があるか分からない。ひそかに発して気づかないものがある。力を尽くして察しても、なお見えにくい。まして口で講じるだけで、すべて知れようか。今、ひたすら天理を講じては置いておいて従わず、人欲を講じては置いておいて去らない。それが『格物』『致知』の学か。後世の学は、極まっても『義を外から襲い取る』工夫を作り上げただけだ」。