伝習録 / 陸澄録
「善念發而知之,而充之;惡念發而知之,而遏之。知與充與遏者,志也,天聰明也。聖人只有此,學者當存此。」
新字:「善念発而知之,而充之;悪念発而知之,而遏之。知与充与遏者,志也,天聰明也。聖人只有此,学者当存此。」
書き下し
「善念発して之を知り、而して之を充つ。悪念発して之を知り、而して之を遏(とど)む。知ると充つると遏むるとは、志なり、天の聡明なり。聖人は只だ此れ有り。学者は当に此を存すべし」。
現代語訳
「善念が発すれば、それに気づいて広げる。悪念が発すれば、それに気づいて止める。気づくこと、広げること、止めること。それが志であり、天の聡明さだ。聖人にはこれだけがある。学ぶ者は、これを保つべきだ」。
解説
心に浮かぶ「善い思い」には気づいてそれを広げ、「悪い思い」には気づいてそれを止める。この「気づく」「広げる」「止める」というシンプルな心の働きこそが、人間が持つ本来の聡明さであり、私たちが日々実践すべきことです。特別な能力は必要なく、自分の心に何が起きているかを注意深く見つめ、その念に応じて適切に対応する。この単純な実践の積み重ねが、心の成長に繋がります。
この章句が説くこと
知与充与遏者志也天聡明也聖人只有此学者当存此
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