伝習録 / 陸澄録
問:「心要逐物,如何則可?」先生曰:「人君端拱清穆,六卿分職,天下乃治。心統五官,亦要如此。今眼要視時,心便逐在色上;耳要聽時,心便逐在聲上。如人君要選官時,便自去坐在吏部;要調軍時,便自去坐在兵部。如此,豈惟失卻君體,六卿亦皆不得其職。」
新字:問:「心要逐物,如何則可?」先生曰:「人君端拱清穆,六卿分職,天下乃治。心統五官,亦要如此。今眼要視時,心便逐在色上;耳要聴時,心便逐在声上。如人君要選官時,便自去坐在吏部;要調軍時,便自去坐在兵部。如此,豈惟失却君体,六卿亦皆不得其職。」
書き下し
問う、「心は物を逐わんと要す。如何にせば則ち可ならん」と。先生曰く、「人君は端拱清穆にして、六卿は職を分かち、天下は乃ち治まる。心は五官を統ぶ。亦た此くの如くならんことを要す。今、眼、視んと要する時、心は便ち逐いて色の上に在り。耳、聴かんと要する時、心は便ち逐いて声の上に在り。人君の官を選ばんと要する時、便ち自ら去きて吏部に坐し、軍を調えんと要する時、便ち自ら去きて兵部に坐するが如し。此くの如くんば、豈に惟だ君の体を失却するのみならんや。六卿も亦た皆な其の職を得ず」と。
現代語訳
尋ねた。「心が物を追いかけてしまいます。どうすればよいでしょう」。先生は言った。「君主は静かに手を組み、六卿が職を分けて、天下は治まる。心は五官を統べる。同じであるべきだ。今、目が見ようとする時、心も追って色に向かう。耳が聞こうとする時、心も追って音に向かう。君主が官を選ぶ時に自ら吏部の席に座り、軍を整える時に自ら兵部の席に座るようなものだ。それでは君主としての体を失うだけでなく、六卿もそれぞれの職を果たせない」。
解説
私たちは、目の前の出来事や情報に心がすぐに引っ張られがちです。しかし、それでは本来の「心」の役割が果たせません。心は、まるで組織のトップのように、全体を統括し、各感覚器官(部署)がそれぞれの役割を全うできるよう導く存在であるべきです。心が特定の情報に没頭しすぎると、全体を見失い、適切な判断ができなくなります。心を落ち着かせ、全体を俯瞰する視点を持つことが、日々の判断を誤らないために重要です。
この章句が説くこと
心統五官亦要如此豈惟失卻君体六卿亦皆不得其職豈惟失却君体六卿亦皆不得其職
関連する章句
-
『慎思録』巻之二心は人の神明なり。衆理具はりて、万事出づ。人の万物の霊為る所以の者は、惟だ此に在るのみ。是れ身の主為りて、中に在り。耳目鼻口の外形を役使する所以の者なり。譬へば君の臣を使ふが如く然り。故に之に名づけて天君と為す。仁義礼智の会する所にして、性の郛郭為り。須らく極めて崇奉して善く之を安養すべし。之を尊ぶこと天の如く、之を敬ふこと神の如くし、耳目口体情意の欲をして吾が天君を苦しましむること勿かれ。苟も天君外形の役する所と為らば、則ち猶ほ臣を以て君を使ふがごとく然り。以て悖逆の事と為す。宜しく霊台をして長く安泰ならしめ、天君をして常に和楽ならしむべし。
-
『大和俗訓』巻之四・心術下一心は天君と云ふ。身の主なり、思ふを以て職分とす。耳目口鼻形は五官と云ふ。官はつかさどるなり。役をつとむるを云ふ。耳は聞ことをつかさどり、目は見ることをつかさどり、口は物くひものいひ、鼻は香をかぎ、手足の形は動くことをつかさどる。此五官は、各一づつの役ありて、他事に通ぜず。心は天君なれば、五官をさしつかふ主なり。五官のしわざ、見ること、聴くこと、言ふこと、嗅ぐこと、動くことにつきて、心によく思案して、義理に当るか、あたらざるかを考へ行へば、五官のしわざ、あやまりなく、後悔なし。もし心其職分をうしなひて、思案もなく、耳目鼻口形の欲にまかせて、義理の当否を察せざれば、人欲ほしいままにして、天理ほろぶ。
-
伝習録・陸澄録問う、「至善は即ち吾が性なり、吾が性は吾が心に具わる、吾が心は乃ち至善の止まる所の地なりと知らば、則ち向時の紛然として外に求むるを為さずして、志定まらん。定まれば則ち擾擾たらずして静なり。静にして妄動せざれば則ち安し。安ければ則ち一心一意、只だ此の処に在り、千思万想して、務めて必ず此の至善を得んことを求む。是れ能く慮りて得るなり。此くの如く説くは是なりや否や」と。先生曰く、「大略、亦た是なり」と。
-
『養生訓』巻第五・五官一心は人身の主君なり。故に天君と云ふ。思ふ事をつかさどる。耳目口鼻形手足なり此五は、聞くと見ると嗅ぐと物いひ物くふと動くと、各其事をつかさどる職分ある故に、五官と云ふ。心のつかひ物なり。心は内にありて五官をつかさどる。よく思ひて、五官の是非を正すべし。天君を以て五官をつかふは順なり。五官を以て天君をつかふは逆なり。心は身の主なれば、安楽ならしめて苦むべからず。五官は天君の命をうけ、各官職をよくつとめて、恣なるべからず。
-
伝習録・陸澄録問う、「名物度数も、亦た須らく先ず講求すべきや否や」と。先生曰く、「人は只だ自家の心体を成就せんことを要すれば、則ち用は其の中に在り。心体を養い得るが如く、果たして『未発の中』有らば、自然に『発して節に中るの和』有り、自然に施すとして可ならざる無し。苟も是の心無くんば、預め先に世上の許多の名物度数を講じ得たりと雖も、己と原と相い干せず。只だ是れ装綴なり。時に臨みて自ら行い去らず。亦た是れ名物度数を将(もっ)て全然として理せざるに非ず。只だ『先後する所を知らば、則ち道に近し』を要するのみ」と。又た曰く、「人は才に随いて成就せんことを要す。才は是れ其の能く為す所なり。夔の楽、稷の種の如きは、是れ他の資性、合下(もとも)と便ち此くの如し。之を成就する者も、亦た只だ是れ他の心体をして純乎たる天理ならしめんことを要す。其の運用する処、皆な天理の上より発し来たり、然る後に之を才と謂う。純乎たる天理の処を得るに到らば、亦た能く『器ならず』。夔・稷をして芸を易えて為さしむるも、当に亦た之を能くすべし」と。又た曰く、「『富貴に素しては富貴に行い、患難に素しては患難に行う』が如きは、皆な是れ『器ならず』なり。此れ惟だ心体を養い得て正しき者のみ、之を能くす」と。
-
『初学訓』巻之二一人の身のわざは、言行の二にあり。是をつつしみて、過すくなくするは、身を修むる道なり。およそ人は、言は常に余あり、行は常に足らず、言を信にし、行を篤くつつしむべし。言は、過ぎやすく誤りやすし。つつしみて、みだりに言ふべからず。行は、常に怠りやすく、不足多し、怠りなくするどにつとめ、余りある程あつく行ふべし。一心を天官といふ。身の主にて、思を以て官とす。耳、目、口、鼻、形を五官といふ。耳に聴き、目に見、口に物いひ、物をくひ、鼻に香をかぎ、形はうごく。是、五のつかさどりなり。官とはつかさどるなり、役を勤むるをいふ。心は五官の君なり、五官は心の使ふものなり。心によく思案して、五官のひがごとを禁じ、五官の役を勤めしむるは、たとへば、主人の臣下を使ふに、各其官をいひつけて、勤めしむるが如し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る