伝習録 / 陸澄録
問:「世道日降,太古時氣象如何復見得?」先生曰:「一日便是一元。人平旦時起坐,未與物接,此心清明景象,便如在伏羲時遊一般。」
新字:問:「世道日降,太古時気象如何復見得?」先生曰:「一日便是一元。人平旦時起坐,未与物接,此心清明景象,便如在伏羲時遊一般。」
書き下し
問う、「世道は日に降る。太古の時の気象は如何ぞ復た見得ん」と。先生曰く、「一日は便ち是れ一元なり。人、平旦の時に起坐し、未だ物と接せざる、此の心の清明の景象は、便ち伏羲の時に在りて遊ぶが如く一般なり」と。
現代語訳
尋ねた。「世の道は日々に落ちています。太古の気配を、どうすれば再び見られますか」。先生は言った。「一日が一つの元だ。人が明け方に起きて座り、まだ物に接していない時の、心の清らかで明るい景色は、伏羲の時代に遊んでいるのと同じだ」。
解説
「世の中は悪くなった」と嘆くことはよくありますが、過去の清らかな時代を取り戻す必要はありません。この言葉は、一日一日が新たな始まりであり、毎朝、私たちは清らかな心を取り戻す機会を与えられていると教えてくれます。まだ何にも煩わされていない明け方の澄んだ心は、太古の清らかさと何ら変わりません。日々の始まりに心を整えることで、新たな気持ちで物事に向き合い、前向きな一日を創造できるはずです。
この章句が説くこと
一日便是一元人平旦時起坐未与物接此心清明景象便如在伏羲時遊一般
関連する章句
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