伝習録 / 陸澄録
問道之精粗。先生曰:「道無精粗,人之所見有精粗。如這一間房,人初進來,只見一個大規模如此;處久,便柱壁之類,一一看得明白;再久,如柱上有些文藻,細細都看出來。然只是一間房。」
新字:問道之精粗。先生曰:「道無精粗,人之所見有精粗。如這一間房,人初進来,只見一個大規模如此;処久,便柱壁之類,一一看得明白;再久,如柱上有些文藻,細細都看出来。然只是一間房。」
書き下し
道の精粗を問う。先生曰く、「道に精粗無し。人の見る所に精粗有り。這の一間の房の如し。人、初めて進み来たれば、只だ一個の大規模の此くの如きを見るのみ。処ること久しければ、便ち柱壁の類、一一看得て明白なり。再び久しければ、柱上に些かの文藻有るが如きも、細細として都て看出し来たる。然れども只だ是れ一間の房なり」と。
現代語訳
道の精粗について尋ねた。先生は言った。「道に精粗はない。人の見え方に精粗があるのだ。この一間の部屋のようなものだ。人が初めて入ってくれば、大まかな規模しか見えない。長くいれば、柱や壁の類が一つ一つはっきり見えてくる。さらに長くいれば、柱の上の細かな模様まで、細々と見えてくる。しかし、同じ一間の部屋なのだ」。
解説
同じ部屋にいても、初めて入った時と長く過ごした後では、見え方が異なります。王陽明は「道に精粗はない。人の見え方に精粗があるのだ」と語ります。物事の本質は変わらないのに、私たちの認識の深さによって、見え方が変わるということです。表面的な情報に惑わされず、同じ対象にじっくりと向き合い、深く観察し続けることで、新たな発見や洞察が得られるでしょう。
この章句が説くこと
道無精粗人之所見有精粗然只是一間房本質
関連する章句
-
論語・述而篇子曰わく、黙してこれを識り、学びて厭わず、人を誨えて倦まず、我に何か有らんや。
-
老子・第44章名と身と孰れか親しき。身と貨と孰れか多なる。得ると亡うと孰れか病なる。甚だ愛すれば必ず大いに費え、多く蔵すれば必ず厚く亡う。故に足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし。
-
『幽夢影』巻下・文に通ぜずして愛すべき者有り貌に醜くして觀るべき者有り、醜からずと雖も觀るに足らざる者有り。文に通ぜずして愛すべき者有り、通ずと雖も極めて厭ふべき者有り。此れ未だ淺人と道ひ易からざるなり。
-
老子・第14章之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を搏てども得ず、名づけて微と曰う。此の三者は詰を致すべからず、故に混じて一と為る。其の上は皦らかならず、其の下は昧からず。縄縄として名づくべからず、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂い、是を惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是を道紀と謂う。
-
言志四録・言志後録 第百四十条 月を看、花を看る月を看るは、清気を観るなり。円缺晴翳の間に在らず。花を看るは、生意を観るなり。紅紫香臭の外に存す。
-
『晏子春秋』諫下・景公欲以聖王之居服而致諸侯晏子諫景公晏子に問いて曰く、「吾聖王の服を服し、聖王の室に居らんと欲す、此の如くんば、則ち諸侯其れ至らんか」と。晏子対えて曰く、「其の節倹に法るは則ち可なり、其の服室に法るは益無きなり。三王服を同じくせずして王たり、服を以て諸侯を致すに非ず。民を愛するに誠にして、善を行うに果、天下其の徳に懐き、其の義に帰す、若し其の衣服節倹にして衆説ぶがごときなり。夫れ冠は以て敬を修むるに足る、其の飾りを務めず。衣は以て形を掩うに足る、其の美を務めず。衣に隅差の削無く、冠に觚嬴の理無く、身服は彩を雑えず、首服は鏤刻せず。且つ古者嘗て紩衣攣領にして天下に王たる者有り、其の政は生を好み殺を悪み、上を節して下を羨う、天下其の服に朝せずして共に其の義に帰す。古者嘗て橧巣窟穴に処りて天下に王たる者有り、其の政は而して悪まず、予えて取らず、天下其の室に朝せずして共に其の仁に帰す。三代の服を作るに及びて、益ます敬を為すなり。首服は以て敬を修むるに足りて重からざるなり。身服は以て潔きを行うに足りて動作を害せず。服の軽重は身に便にして、用財の費は民に順う。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る