伝習録 / 陸澄録
問「哭則不歌」。先生曰:「聖人心體自然如此。」
新字:問「哭則不歌」。先生曰:「聖人心体自然如此。」
書き下し
「哭すれば則ち歌わず」を問う。先生曰く、「聖人の心体は自然に此くの如し」と。
現代語訳
「哭した日には歌わない」について尋ねた。先生は言った。「聖人の心の本体は、自然にそうなるのだ」。
解説
悲しい時に歌う気にならないのは、無理に自分を律しているからではありません。心が自然とそうなるからです。王陽明は「聖人の心の本体は、自然にそうなるのだ」と語ります。心が本当に整っていれば、行動は自ずと適切になります。表面的なルールやマナーに縛られるのではなく、自分の心の声に耳を傾け、その状態に正直に行動することが、心の調和を保つ上で大切なのです。
この章句が説くこと
哭則不歌聖人心体自然如此
関連する章句
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伝習録・黄省曾録問う、「楽しみは是れ心の本体なり。知らず、大故に遇い、哀哭する時に於て、此の楽しみは還た在りや否や」と。先生曰く、「須らく是れ大いに哭すること一番し了りて方に楽しむべし。哭せずんば便ち楽しまず。哭すと雖も、此の心の安んずる処は是れ楽しみなり。本体は未だ嘗て動く有らず」と。
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伝習録・陸澄録澄、鴻臚寺の倉に居る。忽ち家信至り、児の病危うしと言う。澄は心甚だ憂悶し、堪うる能わず。先生曰く、「此の時、正に宜しく功を用うべし。若し此の時、放過せば、閑時に学を講じて何の用ぞ。人は正に此等の時に在りて磨錬せんことを要す。父の子を愛するは、自ら是れ至情なり。然れども天理も亦た自ら個の中和の処有り。過ぐれば即ち是れ私意なり。人、此の処に於て多く認め做(な)す、天理は当に憂うべしと。則ち一向に憂苦す。已に是れ『憂患する所有れば其の正を得ず』なるを知らず。大抵、七情の感ずる所、多くは只だ是れ過ぐ。不及なる者は少なし。才かに過ぐれば、便ち心の本体に非ず。必ず須らく調停して中に適して始めて得べし。就ち父母の喪の如きは、人の子、豈に一たび哭して便ち死し、方に心に快からんことを欲せざらんや。然れども却って『毀(そこな)うも性を滅ぼさず』と曰う。聖人の強いて之を制するに非ざるなり。天理の本体、自ら分限有り。過ぐべからざるなり。人は但だ心体を識り得んことを要すれば、自然に分毫も増減し得ず」と。
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伝習録・陸澄録「『未発の中』を常人俱に有りと謂うべからず。蓋し体用は一源なり。是の体有れば即ち是の用有り。『未発の中』有れば、即ち『発して皆な節に中るの和』有り。今人、未だ『発して皆な節に中るの和』有る能わず。須らく是れ他の『未発の中』も亦た未だ全くは得る能わざるを知るべし」。
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伝習録・陸澄録問う、「名物度数も、亦た須らく先ず講求すべきや否や」と。先生曰く、「人は只だ自家の心体を成就せんことを要すれば、則ち用は其の中に在り。心体を養い得るが如く、果たして『未発の中』有らば、自然に『発して節に中るの和』有り、自然に施すとして可ならざる無し。苟も是の心無くんば、預め先に世上の許多の名物度数を講じ得たりと雖も、己と原と相い干せず。只だ是れ装綴なり。時に臨みて自ら行い去らず。亦た是れ名物度数を将(もっ)て全然として理せざるに非ず。只だ『先後する所を知らば、則ち道に近し』を要するのみ」と。又た曰く、「人は才に随いて成就せんことを要す。才は是れ其の能く為す所なり。夔の楽、稷の種の如きは、是れ他の資性、合下(もとも)と便ち此くの如し。之を成就する者も、亦た只だ是れ他の心体をして純乎たる天理ならしめんことを要す。其の運用する処、皆な天理の上より発し来たり、然る後に之を才と謂う。純乎たる天理の処を得るに到らば、亦た能く『器ならず』。夔・稷をして芸を易えて為さしむるも、当に亦た之を能くすべし」と。又た曰く、「『富貴に素しては富貴に行い、患難に素しては患難に行う』が如きは、皆な是れ『器ならず』なり。此れ惟だ心体を養い得て正しき者のみ、之を能くす」と。
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伝習録・陸澄録澄、「操れば存し舎(す)つれば亡ぶ」の章を問う。曰く、「『出入時無く、其の郷を知る莫し』とは、此れ常人の心に就きて説くと雖も、学者も亦た須らく是れ心の本体も亦た元より是くの如きを知り得べし。則ち操存の功夫、始めて病痛無し。便ち出づるを亡と為し、入るを存と為すと謂うべからず。若し本体を論ぜば、元より是れ出づる無く入る無きなり。若し出入を論ぜば、則ち其の思慮運用は是れ出づるなり。然れども主宰は常に昭昭として此に在り。何ぞ出づること之れ有らん。既に出づる所無くんば、何ぞ入ること之れ有らん。程子の所謂る『腔子』も、亦た只だ是れ天理なるのみ。終日応酬すと雖も、天理を出でずんば、即ち是れ腔子の裏に在り。若し天理を出づれば、斯れを之れ放と謂い、斯れを之れ亡と謂う」と。又た曰く、「出入も亦た只だ是れ動静なり。動静は端無し。豈に郷有らんや」と。
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伝習録・陸澄録尚謙、孟子の不動心と告子と異なるを問う。先生曰く、「告子は是れ硬に此の心を把捉著(は)して、他をして動かざらしめんと要す。孟子は却って是れ義を集めて自然に動かざるに到るなり」と。又た曰く、「心の本体は、原と自ら動かず。心の本体は即ち是れ性なり。性は即ち是れ理なり。性は元より動かず、理は元より動かず。義を集むるは是れ其の心の本体に復するなり」と。
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