伝習録 / 陸澄録
「蓍固是《易》,龜亦是《易》。」
新字:「蓍固是《易》,亀亦是《易》。」
書き下し
「蓍(し)は固より是れ『易』なり。亀も亦た是れ『易』なり」。
現代語訳
「筮竹はもとより『易』である。亀甲もまた『易』である」。
解説
この短い一節は、手段の違いにこだわらず、本質が同じであれば同じものだと捉える王陽明の一貫した姿勢を示しています。例えば、目標達成へのアプローチは様々ですが、どの方法を選んでも、その根底にある目的や価値観が同じであれば、本質は変わらないということです。形式や手段の違いに囚われすぎず、何が本当に重要なのか、その本質を見極めることが、物事をシンプルに理解し、柔軟に対応するために不可欠です。
この章句が説くこと
蓍固是易亀亦是易
関連する章句
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伝習録・陸澄録孟子の「中を執りて権無きは猶お一を執るがごとし」と言うを問う。先生曰く、「中は只だ天理有るのみ。只だ是れ易なり。時に随いて変易す。如何ぞ執り得ん。須らく是れ時に因りて宜しきを制すべし。預め先に一個の規矩を定め在くこと難し。後世の儒者の如きは、道理を将(もっ)て一一に説き得て罅漏(かろう)無からしめ、個の格式を立定せんことを要す。此れ正に是れ一を執るなり」と。
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伝習録・陸澄録「『易』の辞は、是れ『初九、潜竜用うる勿かれ』の六字なり。『易』の象は、是れ初画なり。『易』の変は、是れ其の画に値(あ)うなり。『易』の占は、是れ其の辞を用うるなり」。
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伝習録・陸澄録道の精粗を問う。先生曰く、「道に精粗無し。人の見る所に精粗有り。這の一間の房の如し。人、初めて進み来たれば、只だ一個の大規模の此くの如きを見るのみ。処ること久しければ、便ち柱壁の類、一一看得て明白なり。再び久しければ、柱上に些かの文藻有るが如きも、細細として都て看出し来たる。然れども只だ是れ一間の房なり」と。
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伝習録・陸澄録仙家の元気・元神・元精を問う。先生曰く、「只だ是れ一件なり。流行すれば気と為り、凝聚すれば精と為り、妙用すれば神と為る」と。
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伝習録・陸澄録『律呂新書』を問う。先生曰く、「学者は当務を急と為す。此の数を算じ得て熟するも、亦た恐らくは未だ用有らず。必ず須らく心中に先ず礼・楽の本を具えて、方に可なり。且つ其の書の管を用いて以て気を候うと説くが如きも、然れども冬至の那の一刻の時に至りて、管灰の飛ぶこと或いは先後有らん。須臾の間、焉くんぞ那の管の正に冬至の刻に値するを知らんや。須らく自ら心中に先ず冬至の刻を暁り得て始めて得べし。此れ便ち通ぜざる処有り。学者は須らく先ず礼・楽の本原の上より功を用うべし」と。
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伝習録・黄以方録又た曰く、「此の道は至簡至易的なり。亦た至精至微的なり。孔子曰く、『其れ諸を掌に示すが如きか』と。且つ人の掌に於けるや、何の日か見ざらん。他の掌中に多少の文理あるかを問うに至るに及びては、却って便ち知らず。即ち我が『良知』の二字の如きは、一たび講ずれば便ち明らかなり。誰か知り得ざらん。若し的(まさ)に良知を見んと欲さば、却って誰か能く見得んや」と。問いて曰く、「此の知は恐らくは是れ方体無き的にして、最も捉摸し難し」と。先生曰く、「良知は即ち是れ『易』なり。『其の道為るや屢々遷り、変動して居らず、六虚に周流し、上下、常無く、剛柔、相い易わり、典要と為すべからず、惟だ変の適く所のままなり』。此の知、如何ぞ捉摸し得んや。見得て透る時は便ち是れ聖人なり」と。
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