伝習録 / 陸澄録
「不可謂『未發之中』常人俱有。蓋體用一源,有是體即有是用,有『未發之中』,即有『發而皆中節之和』。今人未能有『發而皆中節之和』,須知是他『未發之中』亦未能全得。」
新字:「不可謂『未発之中』常人倶有。蓋体用一源,有是体即有是用,有『未発之中』,即有『発而皆中節之和』。今人未能有『発而皆中節之和』,須知是他『未発之中』亦未能全得。」
書き下し
「『未発の中』を常人俱に有りと謂うべからず。蓋し体用は一源なり。是の体有れば即ち是の用有り。『未発の中』有れば、即ち『発して皆な節に中るの和』有り。今人、未だ『発して皆な節に中るの和』有る能わず。須らく是れ他の『未発の中』も亦た未だ全くは得る能わざるを知るべし」。
現代語訳
「『未発の中』を、普通の人がみな持っていると言ってはならない。体と用は一つの源だ。この体があれば、この用がある。『未発の中』があれば、『発して皆な節に中る和』がある。今の人は『発して皆な節に中る和』を持てない。ならば、その『未発の中』もまだ完全には得ていないと知るべきだ」。
解説
内面の状態と外面の行動は、切り離せない関係にあります。王陽明は、心の内側が整っていなければ、それが行動に現れないと指摘します。たとえば、どれだけ「自分は落ち着いている」と心で思っていても、それが日々の言動や態度に表れていなければ、真に整っているとは言えません。自分の内面を磨くことは、必ず行動に反映されます。だからこそ、日々の行いを振り返り、それが自分の内面と一致しているかを確認することが大切なのです。
この章句が説くこと
体用一源有是体即有是用今人未能有発而皆中節之和本質
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