伝習録 / 陸澄録
或曰:「人皆有是心,心即理,何以有為善,有為不善?」先生曰:「惡人之心,失其本體。」
新字:或曰:「人皆有是心,心即理,何以有為善,有為不善?」先生曰:「悪人之心,失其本体。」
書き下し
或るひと曰く、「人は皆な是の心有り。心は即ち理なり。何を以て善を為す有り、不善を為す有るか」と。先生曰く、「悪人の心は、其の本体を失えるなり」と。
現代語訳
ある人が言った。「人はみなこの心を持っている。心が理だというなら、なぜ善をなす者と、善からぬことをなす者がいるのですか」。先生は言った。「悪人の心は、その本体を失っているのだ」。
解説
誰もが本来、良い心を持っているはずなのに、なぜ悪しき行いをしてしまう人がいるのか。この問いに対し、一節は「悪人の心は、その本体を失っているのだ」と答えます。これは、生まれつき悪人がいるのではなく、本来持っている心の良い部分が、何らかの理由で覆い隠されてしまっている状態を指します。だからこそ、人はいつでも本来の心を取り戻し、善き行いへと立ち返ることができる。この考え方は、人への信頼や可能性を信じる根拠となります。
この章句が説くこと
悪人之心失其本体良心思いやり
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