伝習録 / 陸澄録
問:「後世著述之多,恐亦有亂正學。」先生曰:「人心天理渾然,聖賢筆之書,如寫真傳神,不過示人以形狀大略,使之因此而討求其真耳;其精神意氣,言笑動止,固有所不能傳也。後世著述,是又將聖人所畫,摹仿謄寫,而妄自分析加增,以逞其技,其失真愈遠矣。」
新字:問:「後世著述之多,恐亦有乱正学。」先生曰:「人心天理渾然,聖賢筆之書,如写真伝神,不過示人以形状大略,使之因此而討求其真耳;其精神意気,言笑動止,固有所不能伝也。後世著述,是又将聖人所画,摹仿謄写,而妄自分析加增,以逞其技,其失真愈遠矣。」
書き下し
問う、「後世の著述の多きは、恐らくは亦た正学を乱す有らん」と。先生曰く、「人心の天理は渾然たり。聖賢の之を書に筆するは、真を写し神を伝うるが如し。人に示すに形状の大略を以てし、之をして此に因りて其の真を討求せしむるに過ぎざるのみ。其の精神意気、言笑動止は、固より伝うる能わざる所有り。後世の著述は、是れ又た聖人の画く所を将(もっ)て、摹倣謄写して、妄りに自ら分析加増し、以て其の技を逞しくす。其の真を失うこと愈々遠し」と。
現代語訳
尋ねた。「後世の著述が多いのは、正しい学問を乱すのではありませんか」。先生は言った。「人の心の天理は渾然としている。聖賢がこれを書に記したのは、肖像を描いて神気を伝えるようなものだ。人に大体の形を示して、それによって本物を探し求めさせるにすぎない。その精神や気配、笑いや振る舞いは、伝えられない。後世の著述は、聖人が描いたものを、さらに模写し、勝手に分析し付け加え、技を誇る。真実から遠ざかるばかりだ」。
解説
誰かの言葉や考え方を学ぶ際、その表面的な形だけをなぞったり、解説書を読み込んだりするだけでは、本質から遠ざかってしまうことがあります。それは、肖像画の模写を繰り返すうちに、元の人物の息遣いや精神性が失われていくようなもの。大切なのは、書かれた言葉の奥にある「真意」を自分なりに探求し、日々の生活の中で実践することです。情報過多の時代だからこそ、本質を見極め、自分自身の体験を通して理解を深める姿勢が求められます。
この章句が説くこと
聖賢筆之書如写真伝神後世著述摹倣謄写其失真愈遠矣
関連する章句
-
伝習録・陸澄録問う、「書を看るに明らかにする能わず。如何」と。先生曰く、「此れ只だ是れ文義の上に在りて穿求す。故に明らかならず。此くの如くんば、又た旧時の学問を為すに如かず。他は到(かえ)って看得ること多く、解し得て去る。只だ是れ他の学を為すこと極めて解し得て明暁なりと雖も、亦た終身得る無し。須らく心体の上に功を用うべし。凡そ明らかにし得ず、行い去らざれば、須らく反りて自心の上に在りて体当すべし。即ち通ずべし。蓋し『四書』『五経』は這の心体を説くに過ぎず。這の心体は即ち所謂る道なり。心体明らかなれば即ち是れ道明らかなり。更に二無し。此れ是れ学を為すの頭脳の処なり」と。
-
伝習録・黄省曾録先生、陸元静に語りて曰く、「元静は少年にして亦た『五経』を解せんことを要す。志も亦た博きを好む。但だ聖人の人に教うるは、只だ人の簡易ならざるを怕(おそ)る。他の説く所は皆な是れ簡易の規なり。今人の博きを好むの心を以て之を観れば、却って聖人の人に教うるは差えりと似たり」と。
-
伝習録・陳九川録門人、文を作りて友の行くを送る。先生に問いて曰く、「文字を作るは思いを費やすを免れず。作り了る後、又た一二日、常に懐いに記在す」と。曰く、「文字の思索も亦た害無し。但だ作り了りて常に懐いに記さば、則ち文の累う所と為り、心中に一物有らん。此れ則ち未だ可ならず」と。又た詩を作りて人を送る。先生、詩を看畢り、謂いて曰く、「凡そ文字を作るは我が分限の及ぶ所に随わんことを要す。若し説き得ること太だ過ぎば、亦た修辞立誠に非ざるなり」と。
-
伝習録・陳九川録虔州、将に帰らんとし、詩有りて先生に別れて云う、「良知、何事ぞ多聞に繋がらん。妙合、当時、已に根を種う。好悪、之に従うは聖学と為す。将迎、処無きは是れ乾元」と。先生曰く、「若し未だ来たりて此の学を講ぜずんば、『好悪、之に従う』と説くも、個の甚麼に従うかを知らざらん」と。敷英、座に在りて曰く、「誠に然り。嘗て先生の『大学古本序』を読むも、説く所、何事なるかを知らず。来たりて聴講すること許時に及びて、乃ち稍(やや)大意を知る」と。
-
伝習録・陸澄録曰仁云う、「心は猶お鏡のごときなり。聖人の心は明鏡の如く、常人の心は昏鏡の如し。近世の『格物』の説は、鏡を以て物を照らすが如し。照らす上に功を用うるも、鏡の尚お昏きに在るを知らず。何ぞ能く照らさん。先生の『格物』は、鏡を磨きて之をして明ならしむるが如し。磨く上に功を用うれば、明らかなる後、亦た未だ嘗て照らすを廃せず」と。
-
伝習録・陸澄録問う、「『之を析(わか)ちて以て其の精を極めて乱れざる有り、然る後に之を合して以て其の大を尽くして余す無き有り』。此の言は如何」と。先生曰く、「恐らくは亦た未だ尽くさず。此の理、豈に分析を容れんや。又た何ぞ須らく湊合し得べけんや。聖人は『精一』と説く。自ずから是れ尽くせり」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る