伝習録 / 陸澄録
孟源有自是好名之病,先生屢責之。一日警責方已,一友自陳日來工夫請正。源從傍曰:「此方是尋著源舊時家當。」先生曰:「爾病又發。」源色變,議擬欲有所辯。先生曰:「爾病又發。」因喻之曰:「此是汝一生大病根。譬如方丈地內,種此一大樹,雨露之滋,土脈之力,只滋養得這個大根;四傍縱要種些嘉榖,上面被此樹葉遮覆,下面被此樹根盤結,如何生長得成?須用伐去此樹,纖根勿留,方可種植嘉種。不然,任汝耕耘培壅,只是滋養得此根。」
新字:孟源有自是好名之病,先生屡責之。一日警責方已,一友自陳日来工夫請正。源従傍曰:「此方是尋著源旧時家当。」先生曰:「爾病又発。」源色変,議擬欲有所弁。先生曰:「爾病又発。」因喩之曰:「此是汝一生大病根。譬如方丈地内,種此一大樹,雨露之滋,土脈之力,只滋養得這個大根;四傍縦要種些嘉穀,上面被此樹葉遮覆,下面被此樹根盤結,如何生長得成?須用伐去此樹,繊根勿留,方可種植嘉種。不然,任汝耕耘培壅,只是滋養得此根。」
書き下し
孟源に自ら是とし名を好むの病有り。先生屢々之を責む。一日、警責して方に已む。一友、日来の工夫を自陳して正を請う。源、傍らより曰く、「此れ方に是れ源が旧時の家当を尋ね著けたり」と。先生曰く、「爾の病、又た発せり」と。源、色を変じ、議擬して辯ずる所有らんと欲す。先生曰く、「爾の病、又た発せり」と。因りて之に喩して曰く、「此れ是れ汝が一生の大病根なり。譬えば方丈の地内の如きに、此の一大樹を種うれば、雨露の滋、土脈の力、只だ這個の大根を滋養し得るのみ。四傍に縦(たと)い些かの嘉穀を種えんと要するも、上面は此の樹葉の遮覆する所と被り、下面は此の樹根の盤結する所と被る。如何ぞ生長し得て成らんや。須らく此の樹を伐り去りて、繊根も留むる勿くして、方に嘉種を種植すべし。然らずんば、汝が耕耘培壅するに任すも、只だ是れ此の根を滋養し得るのみ」と。
現代語訳
孟源には、自らを正しいとし名を好む病があった。先生はたびたび責めた。ある日、戒め終わったところで、ある友が近頃の工夫を述べて正しさを問うた。孟源が傍らから言った。「それはまさに、私が昔からやっていたことだ」。先生は言った。「お前の病がまた出た」。孟源は顔色を変え、言い返そうとした。先生は言った。「お前の病がまた出た」。そして諭して言った。「これがお前の一生の大きな病根だ。たとえば一丈四方の土地に、この一本の大木を植えれば、雨露の潤いも土の力も、その大きな根を養うだけになる。周りに良い穀物を植えようとしても、上は木の葉に覆われ、下は木の根が絡みつく。どうして育つだろう。この木を伐り去り、細い根も残さずにして、初めて良い種を植えられる。そうでなければ、いくら耕し肥やしても、ただこの根を養うだけだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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伝習録・黄省曾録一友問う、「静坐の時に於て、好名・好色・好貨等の根を将(も)って、逐一に捜尋し、掃除廓清せんと欲す。恐らくは是れ肉を剜(えぐ)りて瘡を做すならんや」と。先生、色を正して曰く、「這れは是れ我の人を医するの方子なり。真に是れ人の病根を去り得たり。更に大本事の人有りて、十数年を過ぐるも、亦た還た用い得著(つ)く。你、如し用いずんば、且く放ち起こせ。我の方子を作壊するを要せざれ」と。是の友、愧じて謝す。少間、曰く、「此の量、你の事に非ず。必ず吾們の稍(やや)意思を知る者、此の説を為して以て汝を誤るならん」と。座に在る者、皆な悚然たり。
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伝習録・黄以方録一友、自ら嘆ず、「私意の萌す時、分明に自ら心に知り得たり。只だ是れ他をして即ち去らしむる能わず」と。先生曰く、「你の萌す時の這一知の処、便ち是れ你の命根なり。当下に即ち去きて消磨せば、便ち是れ命を立つるの工夫なり」と。
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伝習録・黄省曾録先生、嘆じて曰く、「世間、学を知るの人、只だ這些の病痛有りて打ち破らず。就ち是れ人と善を同じくするに非ざるなり」と。崇一曰く、「這の病痛は只だ是れ個の高きを好みて己を忘るる能わざるのみ」と。
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伝習録・黄以方録先生曰く、「人生の大病は只だ是れ一の傲の字なり。子と為りて傲れば必ず不孝、臣と為りて傲れば必ず不忠、父と為りて傲れば必ず不慈、友と為りて傲れば必ず不信なり。故に象と丹朱の倶に不肖なるも、亦た只だ一の傲の字にて、便ち此の生を結果し了れり。諸君、常に此を体せんことを要す。人心は本と是れ天然の理なり。精精明明にして、纖介の染著も無し。只だ是れ一の我無きのみ。胸中、切に有るべからず。有れば即ち傲なり。古先の聖人の許多の好き処も、也(また)只だ是れ我無きのみ。我無ければ自ら能く謙なり。謙は衆善の基、傲は衆悪の魁なり」と。
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伝習録・黄修易録先生、一日、出でて禹穴に遊ぶ。田間の禾を顧みて曰く、「能く幾何の時ぞ。又た此くの如く長ぜり」と。范兆期、傍らに在りて曰く、「此れ只だ是れ根有り。学問、能く自ら根を植えば、亦た長ずる無きを患えず」と。先生曰く、「人、孰か根無からん。良知は即ち是れ天の植えたる霊根なり。自ら生生して息まず。但だ私累を著け、此の根を戕賊蔽塞せば、発生するを得ざるのみ」と。
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伝習録・薛侃録先生曰く、「学を為すの大病は名を好むに在り」と。侃曰く、「従前の歳、自ら此の病は已に軽しと謂う。比来、精察するに、乃ち全く未だしきを知る。豈に必ずしも外を務め人の為にせんや。只だ誉を聞きて喜び、毀を聞きて悶ゆるは、即ち是れ此の病の発し来たるか」と。曰く、「最も是なり。名と実とは対す。実を務むるの心、一分重ければ、則ち名を務むるの心、一分軽し。全く是れ実を務むるの心ならば、即ち全く名を務むるの心無し。若し実を務むるの心、飢の食を求め、渇の飲を求むるが如くんば、安くんぞ更に工夫の名を好む有るを得んや」と。又た曰く、「『世を没して名の称せられざるを疾(にく)む』の『称』の字は去声に読む。亦た『声聞、情に過ぐるは、君子は之を恥ず』の意なり。実、名に称わずんば、生くれば猶お補うべし。没すれば則ち及ぶ無し。『四十五十にして聞こゆる無し』は、是れ道を聞かざるなり。声聞無きに非ざるなり。孔子云う、『是れ聞なり。達に非ざるなり』と。安くんぞ肯えて此を以て人に望まんや」と。
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