伝習録 / 陸澄録
陸澄問:「主一之功,如讀書則一心在讀書上,接客則一心在接客上,可以為主一乎?」先生曰:「好色則一心在好色上,好貨則一心在好貨上,可以為主一乎?是所謂遂物,非主一也。主一是專主一個天理。」
新字:陸澄問:「主一之功,如読書則一心在読書上,接客則一心在接客上,可以為主一乎?」先生曰:「好色則一心在好色上,好貨則一心在好貨上,可以為主一乎?是所謂遂物,非主一也。主一是専主一個天理。」
書き下し
陸澄問う、「主一の功は、書を読めば則ち一心書を読むの上に在り、客に接すれば則ち一心客に接するの上に在るが如し。以て主一と為すべきか」と。先生曰く、「色を好めば則ち一心色を好むの上に在り、貨を好めば則ち一心貨を好むの上に在り。以て主一と為すべきか。是れ所謂る物を遂うなり。主一に非ざるなり。主一は是れ専ら一個の天理を主とするなり」と。
現代語訳
陸澄が尋ねた。「一つに主とする工夫とは、書を読めば心が読書に集中し、客に接すれば心が接客に集中する、ということでしょうか」。先生は言った。「色を好めば心が色を好むことに集中し、財を好めば心が財を好むことに集中する。それも一つに主とすることか。それは物を追いかけているだけだ。一つに主とするとは、ひたすら天理を主とすることだ」。
解説
集中力は、それ自体が目的ではありません。大切なのは「何に」集中するかです。ただ一つのことに没頭していれば良いというわけではなく、その対象が、人として正しい道理(天理)にかなっているかどうかが問われます。もし、自分の欲望や私的な感情にばかり集中しているなら、それは単に「物を追いかけている」に過ぎません。日々の仕事や生活の中で、自分の集中する先が、本当に価値あるもの、正しい方向に向かっているか、常に問い直すことが重要です。
この章句が説くこと
主一是専主一個天理是所謂遂物非主一也集中
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