師導古典を学びたいすべての人に

伝習録 / 徐愛録

又曰:「知是心之本體,心自然會知。見父,自然知孝;見兄,自然知弟;見孺子入井,自然知惻隱。此便是『良知』,不假外求。若『良知』之發,更無私意障礙;即所謂『充其惻隱之心,而仁不可勝用矣』。然在常人,不能無私意障礙;所以須用『致知』、『格物』之功。勝私復理,即心之『良知』更無障礙,得以充塞流行;便是致其知。知致,則意誠。」

新字:又曰:「知是心之本体,心自然会知。見父,自然知孝;見兄,自然知弟;見孺子入井,自然知惻隠。此便是『良知』,不仮外求。若『良知』之発,更無私意障礙;即所謂『充其惻隠之心,而仁不可勝用矣』。然在常人,不能無私意障礙;所以須用『致知』、『格物』之功。勝私復理,即心之『良知』更無障礙,得以充塞流行;便是致其知。知致,則意誠。」

書き下し

又た曰く、「知は是れ心の本体なり。心は自然に会(よ)く知る。父を見れば、自然に孝を知る。兄を見れば、自然に弟を知る。孺子の井に入るを見れば、自然に惻隠を知る。此れ便ち是れ『良知』なり。外に求むるを仮らず。若し『良知』の発、更に私意の障礙無くんば、即ち所謂る『其の惻隠の心を充たさば、仁は勝げて用うべからず』なり。然れども常人に在りては、私意の障礙無き能わず。所以に須らく『致知』『格物』の功を用うべし。私に勝ち理に復すれば、即ち心の『良知』は更に障礙無く、充塞流行するを得。便ち是れ其の知を致すなり。知致らば、則ち意誠なり」と。

現代語訳

また言った。「知は心の本体だ。心は自然に知ることができる。父を見れば、自然に孝を知る。兄を見れば、自然に従順を知る。幼子が井戸に落ちかけるのを見れば、自然に憐れみを知る。これが『良知』だ。外に求める必要はない。もし『良知』の発動に、私意の障りがなければ、いわゆる『憐れみの心を満たせば、仁は用い尽くせない』ということだ。しかし普通の人には、私意の障りがないわけにいかない。だから『致知』『格物』の功が必要なのだ。私に勝ち理に復すれば、心の『良知』は障りなく満ち行き渡る。それが知を致すことだ。知が至れば、意が誠になる」。

解説

良知は、外から学ぶものではありません。もともと備わっている。幼子が落ちかけるのを見れば、誰でも胸が動く。問題は、それが私意に遮られていることです。だから、足すのではなく、遮っているものを取り除く。修養は、加算ではなく減算なのです。

この章句が説くこと

知是心之本体心自然会知此便是良知不仮外求

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ