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《詩》云:「邦畿千里,惟民所止。」《詩》云:「緡蠻黃鳥,止于丘隅。」子曰:「於止,知其所止,可以人而不如鳥乎?」《詩》云:「穆穆文王,於緝熙敬止!」為人君,止於仁;為人臣,止於敬;為人子,止於孝;為人父,止於慈;與國人交,止於信。
新字:《詩》云:「邦畿千里,惟民所止。」《詩》云:「緡蠻黄鳥,止于丘隅。」子曰:「於止,知其所止,可以人而不如鳥乎?」《詩》云:「穆穆文王,於緝熙敬止!」為人君,止於仁;為人臣,止於敬;為人子,止於孝;為人父,止於慈;与国人交,止於信。
書き下し
《詩》に云く、「邦畿(ほうき)千里、惟(こ)れ民の止(とど)まる所」と。《詩》に云く、「緡蠻(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)、丘の隅(くま)に止まる」と。子曰く、「止まるに於いて、其の止まる所を知る。人を以て鳥に如(し)かざるべけんや」と。《詩》に云く、「穆穆(ぼくぼく)たる文王、ああ緝熙(しゅうき)として敬して止まる」と。人君と為りては仁に止まり、人臣と為りては敬に止まり、人子と為りては孝に止まり、人父と為りては慈に止まり、国人と交わるには信に止まる。
現代語訳
『詩経』に「王の直轄地である千里の都は、民衆が安心して留まる所である」とある。また『詩経』に「美しい声で鳴くウグイスは、小高い丘の安全な隅に留まっている」とある。これについて孔子は「ウグイスでさえ留まるべき安全な場所を知っている。人間でありながら鳥にも及ばないでよいものだろうか(人間も自分が留まるべき道徳的立場を知るべきだ)」と仰った。また『詩経』に「深く静かで立派な文王よ、ああ、たゆまず徳を輝かし、それぞれの立場で敬意を持って留まるべきところに留まられた」とある。君主としては思いやりの心(仁)に留まり、家臣としては恭敬の心(敬)に留まり、子としては親孝行(孝)に留まり、親としては慈しみの心(慈)に留まり、人々と交際する時は誠実さ(信)に留まったのである。
解説
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