中庸
《詩》云:「潛雖伏矣,亦孔之昭!」故君子內省不疚,無惡於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎!
新字:《詩》云:「潜雖伏矣,亦孔之昭!」故君子内省不疚,無悪於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎!
書き下し
詩に云く、『潜(ひそ)みて伏すと雖も、亦た孔(はなは)だ之れ昭(あき)らかなり』と。故に君子は内に省みて疚(やま)しからず、志に悪(あ)しき無し。君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か。
現代語訳
『詩経』に「魚は水の底に深く潜んでいても、その姿はやはりはっきりと見えてしまう」とある。だから君子は、内心を省みてもやましいところがなく、その志に後ろ暗いものがない。君子が及びがたい存在である理由、それはただ、人が見ていないところでの姿にあるのではないだろうか。
解説
冒頭の「慎独」に立ち返る一段です。水底に潜む魚も、実は見えてしまう。隠したつもりのものは、隠せていないのです。そして「君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か」という一句が、実に鋭い。君子が凡人に差をつけるのは、人前での立派な振る舞いにおいてではありません。誰も見ていないところでの姿においてなのです。人前だけ整えることは誰にでもできます。差がつくのは、見られていない時間です。仕事でも、上司が見ていない時、誰も評価しない業務にどう向き合うか。そこにその人の全部が出ます。そしてその積み重ねは、必ず外に滲み出てくるのです。
この章句が説くこと
慎独内省不疚見えない時間の差隠せないもの君子問題解決
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷上・第五十九條呂新吾先生曰く、利を見れば前に向かひ、害を見れば後に退き、功を同じくすれば美を己に専らにし、過を同じくすれば罪を人に委ぬ。此れ小人の恒態にして、丈夫の恥づる行ひなりと。吾常に之を誦して惰心を鞭うつ。利を見れば前むを肯ぜず、害を見れば退くを肯ぜず、功を同じくすれば則ち之を人に帰し、過を同じくすれば則ち之を己に受く。惟だ是れ勉めて以て之を行ふも、猶ほ彼に類せんことを恐る。況んや悠悠として虚しく度る者、未だ必ずしも之を免るる能はざらんや。
-
『君子訓』巻之上一天地は万物の父母なり。其徳広大にして限りなく、万物を生育してやむ事なし。人は殊に天地の正気をうけて生れ、仁義の性をそなへたれば、万物の霊にして、貴き賤しき、みな天地の御子なり。なかについて、国土を治め給ふ君子は、天より専らこの人を厚くかしづきて、人民のつかさとし、下を治めしめ給ふ。そのゆゑは、天地は人を生じ出し、養ひ恵むを以て心とし給へども、天もの言ざれば、自ら命令を下して人を治むる事あたはず、君子を取立て、官禄をあたへ、其地の人民を預け給ふなり。然れば、凡国土人民を司どり治むる人は、各其主君より命を受れども、其実は天より立て給へる代官なり。故に天職といふ。君子と称するは、国に君として民を子とすといふ義なり。
-
言志四録・言志晩録 第百五十条 自ら怨みを致す所以を怨む恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ゆべきは、固よりなり。怨みに至りては、則ち当に自ら其の怨みを致す所以を怨むべし。
-
『長短経』品目〔油然は進まざるの貌なり。越は過ぐるなり。孫卿曰く「夫れ君子は貴ぶ可きを為すを能くするも、人をして必ず己を貴ばしむる能わず。信ず可きを為すを能くするも、人をして必ず己を信ぜしむる能わず。用う可きを為すを能くするも、人をして必ず己を用いしむる能わず。故に君子は修めざるを恥じて、汚さるるを恥じず。信ならざるを恥じて、信ぜられざるを恥じず。能わざるを恥じて、用いられざるを恥じず。誉に誘われず、誹を怨まず、道に率いて行い、端然として己を正す。之を君子と謂うなり」と。〕
-
『翁問答』下卷之本聖人の才徳天地神明とおなじき故に、神明不測広大周備、言語道断なり、賢人の才徳も大かた聖人の体段そなはりぬれども、神明不測の位にいたらず、英雄は大将の才徳は賢人と同じけれども、余の才と徳とは賢人より一位おとりて英雄のかどあるなり、聖人賢人英雄この三人は、才徳の高下大小ありと雖、いづれも君子なれば治世にも乱世にも天下無双の重宝なる人なり、奸雄は敵を退治する一科の用に立つ事は賢人英雄にもおとらねども、明徳くらく邪欲ふかき故、むほん逆心の疑ひありて、味方のたのみあやうし、さて国治まりて仕置などまかせぬれば国をみだり、乱をおこすものなり、
-
論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る