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中庸

《詩》云:「潛雖伏矣,亦孔之昭!」故君子內省不疚,無惡於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎!

新字:《詩》云:「潜雖伏矣,亦孔之昭!」故君子內省不疚,無悪於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎!

書き下し

詩に云く、『潜(ひそ)みて伏すと雖も、亦た孔(はなは)だ之れ昭(あき)らかなり』と。故に君子は内に省みて疚(やま)しからず、志に悪(あ)しき無し。君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か。

現代語訳

『詩経』に「魚は水の底に深く潜んでいても、その姿はやはりはっきりと見えてしまう」とある。だから君子は、内心を省みてもやましいところがなく、その志に後ろ暗いものがない。君子が及びがたい存在である理由、それはただ、人が見ていないところでの姿にあるのではないだろうか。

解説

冒頭の「慎独」に立ち返る一段です。水底に潜む魚も、実は見えてしまう。隠したつもりのものは、隠せていないのです。そして「君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か」という一句が、実に鋭い。君子が凡人に差をつけるのは、人前での立派な振る舞いにおいてではありません。誰も見ていないところでの姿においてなのです。人前だけ整えることは誰にでもできます。差がつくのは、見られていない時間です。仕事でも、上司が見ていない時、誰も評価しない業務にどう向き合うか。そこにその人の全部が出ます。そしてその積み重ねは、必ず外に滲み出てくるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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