中庸
自誠明,謂之性;自明誠,謂之教。誠則明矣,明則誠矣。唯天下至誠,為能盡其性;能盡其性,則能盡人之性;能盡人之性,則能盡物之性;能盡物之性,則可以贊天地之化育;可以贊天地之化育,則可以與天地參矣。
新字:自誠明,謂之性;自明誠,謂之教。誠則明矣,明則誠矣。唯天下至誠,為能尽其性;能尽其性,則能尽人之性;能尽人之性,則能尽物之性;能尽物之性,則可以賛天地之化育;可以賛天地之化育,則可以与天地参矣。
書き下し
誠より明らかなる、之を性と謂う。明より誠なる、之を教と謂う。誠なれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち誠なり。唯だ天下の至誠のみ、能く其の性を尽くすと為す。能く其の性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛(たす)くべし。以て天地の化育を賛くべければ、則ち以て天地と参(さん)すべし。
現代語訳
誠実さから出発して物事が明らかになること、これを「性(生まれつきの本性)」という。理解が明らかになることから出発して誠実さに至ること、これを「教(学び)」という。誠であれば自然と明らかになり、明らかであれば自然と誠になる。ただ天下の至誠だけが、自分の本性を余すところなく発揮しきることができる。自分の本性を発揮しきれば、他の人の本性をも発揮させることができる。他の人の本性を発揮させることができれば、あらゆる物の本性をも発揮させることができる。あらゆる物の本性を発揮させることができれば、天地が万物を育てるはたらきを助けることができる。天地の育成を助けることができれば、天地と並び立つ第三の存在となることができるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『養生訓』巻第二・総論下一一時の浮気を恣にすれば、一生の持病となり、或は即時に命あやふき事あり。莫大の禍は、しばしの間こらへざるに起る。おそるべし。一養生の道は中を守るべし。中を守るとは過不及なきを云ふ。食物はうゑを助くるまでにてやむべし。過ぎて恣なるべからず。是中を守るなり。物ごとにかくの如くなるべし。
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『慎思録』巻之三天下の理は、中を得るを至りと為す。学者は当に中を以て準的と為すべし。然れども中を得ること尤も難し。苟も其の中を得ること能はずんば、厚に過ぐるの優れりと為すに若かず。蓋し躁進は孰れか廉退の過に若かん。懈惰は孰れか勉強の過に若かん。驕夸は孰れか謙遜の過に若かん。故に夫子曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹なれ。喪は其の易めんよりは寧ろ戚め、と。
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『翁問答』下卷之末之末初学より権の道を目あてにせざれば此あやまりうたがひあるものなり、儒書にのする礼儀作法をすこしもちがへず、残所なく取おこなふを儒道をおこなふと思へるは大なるあやまりなり、たとひ儒書にのする所の礼法をすこしもちがはず皆とりおこなふといふとも、其おこなふ所時と処と位とに相応適当恰好の道理なくば儒道をおこなふにはあらず、異端なり、そのおこなふ所時に相応適当しても、その心に名利の私あるは、にせもの小人と云ものにて、君子の儒にあらずたとひまたその行ところ儒書にする所の礼儀作法にちがひなきも、その事中庸の天理にあたりその心私なく、聖賢の心法にかなひぬれば、儒道を行ふ君子なり、かくの如く礼儀作法になづまず真実の儒道をおこなふは、何国にてもおこなひがたき事はなきものなり、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふ、君子入るとして自得せざること無しとのたまふは此意なり。
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『都鄙問答』卷之二・或人親へ仕之事ヲ問之段曰く、其所にはぬかりなく、小者や男どもには心づけを致し、堅く口を閉ぢおき候ゆへ、家内には露塵存じ申さず候。答ふ、小者下男まで、口を閉ぢて置くゆへ、家内には少しも知らずと思へるは、甚だ愚かなり。汝が悪事は、我よりいはざる先に、天下に明らかなり。中庸に、隠れたるより見はるるは莫しと説き玉へり。未だ形はれずといへども、幾は已に動く。動けばこれ明らかなり。人は知らずと思ふとも、汝が心に、悪事と知る。しるゆへに口をとづ。悪事と知らば、なんぞ速かに止めざる。子曰く、義を見て為さざるは勇無きなりと。其上小者、悪所金のつかひやうを見覚え、又偽りを聞き習ひ、成人の上へ、汝の教へし通りを守り、金銀を盗みつかうて、引負する手代ばかりに成るべし。これ我導きに依りて、人を害ふものなれば、
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