中庸
子曰:「武王、周公,其達孝矣乎!夫孝者:善繼人之志,善述人之事者也。春、秋修其祖廟,陳其宗器,設其裳衣,薦其時食。宗廟之禮,所以序昭穆也;序爵,所以辨貴賤也;序事,所以辨賢也;旅酬下為上,所以逮賤也;燕毛,所以序齒也。踐其位,行其禮,奏其樂,敬其所尊,愛其所親,事死如事生,事亡如事存,孝之至也。郊社之禮,所以事上帝也;宗廟之禮,所以祀乎其先也。明乎郊社之禮、禘嘗之義,治國其如示諸掌乎!」
新字:子曰:「武王、周公,其達孝矣乎!夫孝者:善継人之志,善述人之事者也。春、秋修其祖廟,陳其宗器,設其裳衣,薦其時食。宗廟之礼,所以序昭穆也;序爵,所以辨貴賤也;序事,所以辨賢也;旅酬下為上,所以逮賤也;燕毛,所以序齒也。践其位,行其礼,奏其楽,敬其所尊,愛其所親,事死如事生,事亡如事存,孝之至也。郊社之礼,所以事上帝也;宗廟之礼,所以祀乎其先也。明乎郊社之礼、禘嘗之義,治国其如示諸掌乎!」
書き下し
子曰く、「武王・周公は、其れ達孝(たっこう)なるかな。夫れ孝なる者は、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり。春秋に其の祖廟を修め、其の宗器を陳(つら)ね、其の裳衣(しょうい)を設け、其の時食を薦(すす)む。宗廟の礼は、昭穆(しょうぼく)を序(つい)ずる所以(ゆえん)なり。爵を序ずるは、貴賤を弁(わきま)うる所以なり。事を序ずるは、賢を弁うる所以なり。旅酬(りょしゅう)に下を上(かみ)と為すは、賤(せん)に逮(およ)ぼす所以なり。燕毛(えんもう)は、歯(よわい)を序ずる所以なり。其の位を践(ふ)み、其の礼を行い、其の楽を奏し、其の尊ぶ所を敬い、其の親しむ所を愛す。死に事(つか)うること生に事うるが如く、亡に事うること存に事うるが如きは、孝の至りなり。郊社(こうしゃ)の礼は、上帝に事うる所以なり。宗廟の礼は、其の先を祀る所以なり。郊社の礼、禘嘗(ていしょう)の義に明らかなれば、国を治むること、其れ諸(これ)を掌(たなごころ)に示すが如きか」と。
現代語訳
孔子は言われた。「武王と周公は、まことに孝の道を究めた人であった。そもそも孝とは、先人の志をよく受け継ぎ、先人の事業をよく引き継いで語り伝えることである。春と秋には祖先の廟を修め、祖先が用いた器を並べ、その衣装を飾り、その季節の食べ物をお供えする。宗廟の礼は、祖先の序列を正しく並べるためのものである。爵位に従って並ぶのは、身分の違いをはっきりさせるためである。役割に従って並ぶのは、誰が有能かを見分けるためである。宴で杯を回すとき下位の者から上位の者へ勧めさせるのは、恩恵を末端にまで行き渡らせるためである。宴席で髪の色によって席を定めるのは、年齢の順序を大切にするためである。祖先の位置に立ち、祖先の礼を行い、祖先の楽を奏で、祖先が尊んだものを敬い、祖先が愛したものを愛する。亡くなった者に、生きている者に仕えるのと同じように仕える。これこそが孝の極みである。天地を祀る郊社の礼は、天に仕えるためのものである。宗廟の礼は、先祖を祀るためのものである。この郊社と禘嘗の礼の意義をはっきり理解していれば、国を治めることなど、手のひらを見るように容易であろう」と。