中庸
子曰:「素隱行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半涂而廢,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遁世不見知而不悔,唯聖者能之。
新字:子曰:「素隠行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半涂而廃,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遁世不見知而不悔,唯聖者能之。
書き下し
子曰く、「隠を素(もと)め怪を行えば、後世述ぶること有らん。吾は之を為さず。君子は道に遵(したが)いて行い、半途にして廃(はい)す。吾は已(や)むこと能わず。君子は中庸に依り、世を遁(のが)れ知られずして悔いず。唯(た)だ聖者のみ之を能くす。
現代語訳
孔子は言われた。「奇抜な説を探し求め、風変わりな行いをしてみせれば、後の世に語り継がれることもあるだろう。しかし私はそういうことはしない。君子として道に従って歩みながら、途中で力尽きてやめてしまう者もいる。しかし私は、やめることができないのだ。君子は中庸に依って生き、世に隠れて誰にも認められなくても、それを悔いない。ただ聖人だけが、これをやり遂げられるのである。
解説
目立つことと、続けることを対比した一段です。奇抜な言動をすれば注目され、名も残るかもしれない。しかし孔子はそれを退けます。かといって、道を歩み始めながら途中でやめる人も多い。孔子は「私はやめられない」と言います。ここには、称賛のためでなく、内から突き上げるものに従って続けている人の姿があります。極めつけは最後の一文で、誰にも認められなくても悔いない、それができるのが聖人だというのです。SNSの時代、私たちは承認という報酬に強く引かれます。目立つ言動は簡単に注目を集める。しかし本当に価値ある仕事は、地味で、しばしば誰にも気づかれません。評価されなくても続けられるか。そこが分かれ目です。