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呂氏春秋 / 士容③

客有見田駢者,被服中法,進退中度,趨翔閑雅,辭令遜敏。田駢聽之畢而辭之。客出,田駢送之以目。弟子謂田駢曰:「客,士歟?」田駢曰:「殆乎非士也。今者客所弇斂,士所術施也;士所弇斂,客所術施也。客殆乎非士也。」故火燭一隅,則室偏無光;骨節蚤成,空竅哭歷,身必不長;眾無謀方,乞謹視見,多故不良;志必不公,不能立功;好得惡予,國雖大不為王;禍災日至。故君子之容,純乎其若鍾山之玉,桔乎其若陵上之木。淳淳乎慎謹畏化,而不肯自足;乾乾乎取舍不悅,而心甚素樸。

新字:客有見田駢者,被服中法,進退中度,趨翔閑雅,辞令遜敏。田駢聴之畢而辞之。客出,田駢送之以目。弟子謂田駢曰:「客,士歟?」田駢曰:「殆乎非士也。今者客所弇斂,士所術施也;士所弇斂,客所術施也。客殆乎非士也。」故火燭一隅,則室偏無光;骨節蚤成,空竅哭歴,身必不長;眾無謀方,乞謹視見,多故不良;志必不公,不能立功;好得悪予,国雖大不為王;禍災日至。故君子之容,純乎其若鍾山之玉,桔乎其若陵上之木。淳淳乎慎謹畏化,而不肯自足;乾乾乎取舎不悅,而心甚素樸。

書き下し

客、田駢に見ゆる者有り。被服は法に中り、進退は度に中り、趨翔閑雅、辭令遜敏なり。田駢、之を聽き畢りて之を辭る。客出づ。田駢之を送るに目を以てす。弟子、田駢に謂いて曰く、「客は士なるか。」田駢曰く、「士に非ざるに殆し。今者客の弇斂する所は、士の術施する所なり。士の弇斂する所は、客の術施する所なり。客、士に非ざるに殆からん。」故に火、一隅を燭らせば、則ち室偏は光無し。骨節蚤く成れば、空竅哭歷して、身必ず長ぜず。衆、方を謀る無くして、謹みを視見に乞うは、故多くして良からず。志必ず公ならざれば、功を立つること能わず。得るを好むも予うるを惡めば、國、大なりと雖も王為らず。禍災日に至らん。故に君子の容は、純乎として其れ鍾山の玉の若く、桔乎として其れ陵上の木の若く、淳淳乎として慎謹し化を畏れて、肯て自ら足れりとせず。乾乾乎として取舍し悅ばずして、心甚だ素樸なり。

現代語訳

ある客が田駢(でんべん)に面会した。その服装は礼法にかない、立ち居振る舞いは規範にかない、歩みや身のこなしは上品で、ことばづかいは謙虚で機敏だった。田駢は話を聞き終えると彼を退出させた。客が去ると、田駢は目で見送った。弟子が『あの客は士でしょうか』と尋ねると、田駢は『士ではないに近い。いま客が抑えて外に出さないでいるものこそ士が述べ実行すべきもので、士が抑えて出さないものこそ客が得々と示していたものだ。だからあの客は士ではないに近い』と答えた。火が一隅だけを照らせば部屋の半分は暗い。骨や関節が早く固まりすぎると身体の穴々がふさがって背は伸びない。多くの人が道理を考えず、うわべの見栄えばかりを気にするのは、飾りが多くて良くない。志が公正でなければ功を立てられず、得ることを好んで与えることを憎めば、国が大きくても王者にはなれず、災いが日ごとに及ぶ。ゆえに君子のありようは、鍾山の玉のように純粋で、丘の上の木のようにまっすぐ、飾り気なく慎み深く変化を畏れて自ら満足せず、たゆまず励みつつ取捨に一喜一憂せず、心はきわめて素朴なのである。

解説

田駢と客の逸話を通して、外面の作法や弁舌の巧みさではなく、内面の充実こそが真の士の証だと説かれます。礼にかなった立派な客を田駢が士でないと見抜いたのは、その人物が外に飾り立てるものと、士が内に秘めるものとが正反対だったからです。呂氏春秋は人材の登用を重視し、見栄えや口先の器用さに惑わされず本質を見極めることを説きました。後半では、公正さを欠き与えることを惜しむ者は国を保てないと戒め、理想の君子像を玉や樹木にたとえます。うわべの印象に流されず内実を問うこの視点は、採用や評価、自己研鑽を考える現代の私たちにも大切な指針となります。

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